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2011年06月18日07:45

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小説の中の謎(88)  神話世界から

 村上春樹「海浜のカフカ」新潮文庫、2005年(単行本2002)は、難解をきわめるが、小説の謎を解く探偵としては、いつまでも逃げているわけにはいかない。ノーベル賞の有力候補とされているので、なおさらである。
 難解の要因は、小説にあらわれる象徴的なモチーフが多すぎることにある。何を手掛かりにすればよいのか。この、コラージュのようなモチーフの大盤ふるまい。そこで、思い切って検討するべきモチーフを制限することにする。
 まず、主人公の少年に関するものとしては、第一にカフカ、第二に父を殺し、母、姉とまじわるというエディプスの神話。
 副主人公ナカタさんについては、第一に、原爆を思わせる戦時下での遠足中の閃光の被害者、第二に、大東亜戦争というべきだと思うが、その時の兵士が出入りする異世界への穴であろうか。ナカタさんはその穴をふさぐために四国へやってくるのである。ナカタさんは、意識の面において終わっていない戦争を完全に終わらせる、という使命を負っているのであった。先の大戦は、大東亜戦争として始まったが、終わった時は太平洋戦争であった。つまり、意識の面であるがアメリカの戦争は勝利で終わったのだが、大日本帝国の戦争は終わったとは言えない。ただ、負けただけである。茶色い大東亜戦争は、完全には終わっていなかったのである。
 少年のほうは、豊かさも爛熟期に入った現代日本の少年である。カフカ「城」のKのように、何の使命も感じられず、何をしてよいのか分からないのだ。結局、坂口安吾のように、落ちただけでは、再出発のきっかけにならない。神話世界にまで遡行しなければ救われないのだ。母に当たる女性は、少年と交わったのち死ぬのであるが、姉に当たる女性は残っている。再び、四国に戻ってくると約束した少年は、この姉なる女性と再出発するのであろう。各地の創世神話におけるように。
 しかし、再出発の地が、どうして四国なのか、それも山中なのか。結局、大江健三郎なのではないのか。大江の「万延元年のフットボール」以来のテーマを引き継ごうということなのか。とすれば、この小説は、村上春樹の今後の小説の目指すところを図示した、小説の小説、大江の言うような小説の方法を描いていく、小説家の私小説なのである。自身の行動とその波及を描く古典的な私小説ではなく、小説家の抱えているテーマとモチーフの私小説に違いない。
 四国山中といえば、やはり大江から示唆を受けたという、秋元松代の戯曲「七人みさき」がある。これは、衰退していく過疎山村を、むしろ山中の孤島を売りにして再生を図ろうとする大山林地主とその巫女である妹との、破滅的な悲劇であった。
 たぶん、村上のなかには、この二人の先達がいるのであろう。
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