まひろと道長の関係を念押しのように破壊した上で、
前回から4年ほどジャンプさせました。
子どものまま即位した一条帝は、子どものまま道隆の娘定子と結婚し、
道長は倫子の婿となり娘の彰子も生まれています。
しかし、まひろの暮らし向きはまったく変わっていないようです。
前回、うかつに見えた公任の父の言葉ですが、なんと公任は本当に道兼に接近します。
道兼は兼家に育てられたとおり、公任を自分の手駒のように扱います。
それは、道隆が兼家に習って娘の入内を始め宮廷政治に力を注いだり、
放任されることで街にも出られた道長が民を思うのと好対照です。
また、まひろが道長が送った文も(良いものが落ちていたとばかりに大石静が拾い上げ)、
倫子の女文字鑑定から「あちらとは文のやり取りがあったのね」という引け目を創作し、
妾と呼ぶには血筋が良いし、
史実でも倫子と同じ6人の子をもうけた明子との難しい関係を示唆します。
その明子も懐妊を機に宿願の兼家と会うことができました。
しかし、あの呆けた姿を見てもなお呪詛をしたいとは、その執念の深さを感じさせます。
道長はそんな明子の思いを知ってか知らずか懐妊報告にも笑顔がないと嘆きますが、
逆に道長は倫子や明子に笑顔を見せているのでしょうか。
一方、高畑充希の定子が見事なお姉さん演技で
「いないいないばあ」からの「かくれんぼ」で帝の心をつかみます。
帝にとって唯一の心を許せる相手であることを力の源泉にしていた母の詮子は、
またたく間に帝の信頼を得た定子に対するあからさまな嫉妬心が隠せません。
今回、もう一つしっかり描かれたのは、まだ銭が流通していないことです。
まひろが庭で作った蕪を市で針と取り換えようとしたり、
騙されていたとはいえ、子を売る約束の証文さえ布一反との交換と書かれています。
宋銭が日本で流通するのは、もう少し後のことです。
そんな経済史的なこと以前に、まひろが気づくのは文字を読めない社会の厄介さでした。
私は下から社会を変えるとはなかなかに革命的な発想ですが、
「をとまる」の迷演技があっても教え子は一人だけだし、
まひろならやりかねないと思わせるだけのものがあるので、これも創作の勝利です。
というわけで、今回の秀逸は、
幼少期から生意気だっただけあって相当に優秀な伊周に待っている「明るい未来」でも、
それが精一杯でもあんまりな兼家から明子に投げ捨てるように下された扇でも、
あれほど共に陰謀を巡らしたのに兼家に衰えが見えればそれまでの晴明の割り切りでも、
まだ頬に傷があるのに平気で子どもに文字を教えているまひろのやりがいでも、
乳母ながら後妻のように為時に訴える「また何の足しにもならないことを」でも、
サロンも足が遠のくのに、とても道長と倫子の下で働く気にはなれず、
まひろがとっさに口にした「仕事は決まりました」でもなく、
わざわざ派手な姿で御岳詣に行ったことを、
実はききょうに見とがめられていて悪口を書かれているらしい宣孝の、
まだまひろの婿探しをしているものの、まひろに太刀打ちできぬ息子はダメと言いつつ、
若くてワシのような男と言っていたことから導かれる最適解の予感。
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