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2019年10月28日15:42

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いだてん第40回「バック・トゥ・ザ・フューチャー」を見る

第1回で1959年の東京五輪招致の場面があったので、
最終回も、この1959年の場面の再現になるのだろうと勝手に思っていました。
それを残り少ない第四章の冒頭に置いてきたということは、
この1959年を新しい出発点として1964年に至る物語をしっかり描きたいという、
宮藤官九郎の宣言といえそうです。

その分、1959年に至る戦後の14年間については、
田畑による「東京オリンピック噺」として、ほとんど総集編のように飛ばしてきました。
平沢のニュース解説を意識した「15分」の約束が30分のプレゼンになったようですが、
クドカンが「あと3回ほしい」と嘆きつつ書ききれなかったのは、
このあたりのことだったのかもしれません。

バラックでなんとか復活させた日本体育協会、
ロンドンに対抗するように同時刻に行われた裏オリンピック、
マッカーサーも後押しした(史実)全米水泳選手権への参加、
田畑の衆議院議員選挙への立候補と落選、東龍太郎の東京都知事当選、
治五郎先生が愛した神宮陸上競技場の解体と国立競技場の建設。

そんな合間に、ストックホルム以来のオリンピックの映像をからませてくるので、
これまでの40回近い「いだてん」の蓄積が、
まるごと一気に1964年の東京オリンピックに向けて収束していくように感じます。

そして、フィリピン遠征の際の地元の厳しい反応は、
番外編のように思えた前回の「なつかしの満州」を受け継ぐとともに、
もはや「いだてん」名物といっても過言でないような、
スポーツを通じて描かれる政治の問題でありました。
(東南アジアで日本の要人が強い抗議を受けたという記事は、
うろ覚えながら、1970年代までしばしば見られたように思います。)

だからといって、「日本人が面白いこと(=オリンピック)をすること」が、
「むごいこと」をされたアジアの人たちへの贖罪となり、
「終わってなかった」心の中の戦争を終わらせることになるのかについては、
いかに治五郎先生の最期の場面に連なるとはいえ、無理してるなあとも思ったのですが。

というわけで、今回の秀逸は、
五りんに金栗足袋を作る老辛作を演ずる三宅弘城の良い感じに枯れた演技でも、
本当は平泳ぎの北島康介に対するリスペクトだったのか妙にクドいカエル推しでも、
日本は参加できなかった1948年ロンドンオリンピックで掲げられていた韓国国旗でも、
「泳ぐしか能のない俺たちが泳ぐのやめて、何かいいことあるか」とまで言い切る
かつての煩悩が嘘のような指導者「こいけこいけ」の頼もしさでもありません。

やはり、今回はこれ。
「最後の晩餐」で亡くなってから3回、ドラマ内時間で21年たっても、
(回想)が付けられてはいるものの、けっしてトメの地位を離さない治五郎先生の香盤。
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