1.ペーパー・ムーン
映画「Paper Moon」1973 の原作は、ジョー・デヴィッド・ブラウン「アディ・プレイ」(日本では「ペーパー・ムーン」の題名でハヤカワ文庫 から刊行)。
アメリカの信心深い中西部地方を回って聖書を売りつける詐欺まがいの商売をしている男が、母親を亡くした9歳の少女アディ・プレイを親戚の家まで届ける道中記である。映画はアディの母親の葬儀の最中に、詐欺師の男が駆けつける場面から始まった。母親は沢山の愛人を持っていて、この男も愛人の一人だったので。
「どうせ旅回りだから良いだろう」とばかりに面倒な役を押し付けられた男だったが(行きづりの愛人との情事の邪魔になるので渋々)、旅をする間に本当の親子かもしれないと思い始める。時代背景は大恐慌期の1935年。
詐欺師役の男がライアン・オニールで、娘役がテイタム・オニールの実際の親子で、それが話題だったが、ライアンの方は先日亡くなったとの報道があった。
題名の由来は、紙製の三日月で、遊園地などで記念写真を撮るためのセットとして定番だとのこと。
2.チャップリン「街の灯」1931年、「モダン・タイムス」1936年
「街の灯」は浮浪者のチャップリンと盲目の花売り娘で、富豪の自殺を助けてたくさんの謝礼を受けた浮浪者が、その金で花売り娘の目の手術をさせる。
見えるようになった娘だが、浮浪者を恩人とは思いもしないのだが、小銭を恵んだ時に手が触れてその感触で気が付いたのである。
「モダン・タイムズ」は、流れ作業で一日中同じ機械的な作業をしていて頭がおかしくなる場面が有名。
戦後になるが、自動車製造工程の「トヨタ・システム」は、欠陥部品を見つけた作業員にラインを止める権限を与えた。アメリカでは技師の仕事なのだが、目の前で見る作業員の方が欠陥部品を見つける確率が高いのである。
3.ミュージカル映画「アニー」1982年
原作は大恐慌を克服しつつあったルーズベルト大統領の時の新聞連載漫画とのこと。
時は大恐慌期で、生まれついてから孤児院で育ったアニーは、いつも両親とともにいる夢を見て、目を覚ましてはがっかりする毎日だった。
一方、ルーズヴェルト大統領の友人でもある大富豪のウォーバックスは慈善事業として孤児院から男の子を引き取ることにする。そのために秘書のグレースを派遣したのだが、グレースの方はアニーが気に入ってしまって連れて帰ってきた(この部分は「赤毛のアン」に似ている)。
大富豪の方はアニーを近所の女の子が遊びに来たのだろうと思っていたが、いつもいるので不審に思い始めた。外で遊んでいたアニーが飼い主のいない大きな浮浪犬と友達になって家に連れ帰ってくる。大邸宅だし主人は独身で忙しいので万事秘書のグレースに任せっきりなのである。
グレースは大富豪にアニーの両親を探す提案をするのだが、金目当ての偽物がやって来て誘拐事件となってしまった。アニーの愛犬の活躍もあって無事に帰って来たアニーを見て、大富豪は秘書のグレースと結婚してアニーの両親になる決心をしたのであった。
4.エーリッヒ・ケストナー「点子ちゃんとアントン(Pünktchen und Anton)」1931
小さいので点子ちゃんはあだながついた。
点子ちゃんは病気の母に付いて乞食をしている。アントンは父を亡くして母と二人暮らしでアルバイトをしているのだが、何かと点子ちゃんを助けていた。
ところが点子ちゃんはブルジョワの娘で、母というのは家政婦なのである。暴力的な愛人に金を貢ぐために主人の娘をおとりにして乞食をしていた。
点子ちゃんの方はそれが面白い遊びだったのである。
結局、父親に見つかって家政婦は逃げ出し、点子ちゃんの遊びは終わってしまったが、アントンの母を代わりの家政婦になったことでハッピー・エンドになった。
「飛ぶ教室」1933も母一人男の子一人の家庭。第一次大戦で戦死したのだろう(忘れてしまった)。
少年は中学生だったと思うが、題名の由来は飛行機に乗って世界旅行をしているという設定の授業である。子供のころから世界を知れば民族主義に陥らないだろうとの著者の願いだろうが、ヒトラーによってその願いは無になった。フランスのクレマンソー首相の強硬な復讐心もヒトラー出現を助けた。
「ファビアン」1931
ナチス台頭期で、街ではドイツ共産党とピストルの打ち合いになっていた。
知識人の青年たちはこの状況をどうすることもできずに、どうなっても知らんと退廃的になっていた。
ケストナー自身も打つ手なしの気分だったに違いない。
5.林芙美子「放浪記」1928、「続放浪記」「放浪記第3部」
女学校卒業後19歳で尾道から上京して、女工やカフェの女給などの職業を転々とした(経済恐慌期で、5.15事件は1932昭和7年、2.26事件が1936)時代の日記である。作家を目指して日記だけが当時の生きるあかしだったのだろう。1930年前後の東京の記録でもある。
1937年の南京戦の一環としての漢口攻略戦には特派員として、男性記者をしり目に一番乗りした。生涯活動的で、早く亡くなった(1903―1951)のは無理がたたったと言われていた。
6.尾崎翠1896―1971
林芙美子もそうだが、当時の女性作家は長谷川時雨編集の雑誌「女人芸術」に投稿していた。評判になれば一般文芸雑誌に転載されていたので、女性作家の登竜門だった。
尾崎の活動時期は短かったが、「アップルパイの午後」1929 が「女人芸術」に、その後代表作「第七官界彷徨」1930 の執筆が始まったとのこと。
題名は「第六感」のさらに上の幻想的な感覚という意味。
昔、映画「シックス・センス(第六感)」1999年 を見たことがある。これは死者が見える異常感覚の少年を患者に持つ医師の物語だと思ってみていたのが、最後の場面で逆転して驚いた。私はつくづく感が鈍いんだとしばらく落ち込んでしまった。
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