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2023年07月24日08:26

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浮世の謎(127) 日本人大移動の時代とその終わり

 明治維新までは武士や商人以外の一般人は、伊勢参りなどの寺社参りの旅だけだった。
私の父方の祖父は石川県の九谷焼職人だったらしいのだが、明治の初めに一家を上げて北海道に入植しようとしたのだが、結局失敗して京都にやって来た。
 当時の京都は琵琶湖の水で発電して一番早い電化が始まっていたし、全国共通だが小学校の義務教育が始まった。で、電線の碍子とか美術教育のパレットは陶器で作られていた。多分だが、清水焼とか昔ながらの茶碗や壺が誇りで、新しい需要に消極的だったに違いない。で、そこにやり手の祖父が活路を見出したとのこと。父は進学したかったのだが、母が早く死に養子の父は離縁され、さらに祖父も死んで、仕方なく陶器の卸商として自立せざるを得なかった。
 母方の祖父は鳥取県倉吉生まれだったが、家を飛び出して京都へやって来て、寅さんみたいなテキ屋などをやって安定した職を持たなかった。
 私の母は長女だったが、そんなことで芸者になったが、機転が利くというので人気があったとのことだった。
 明治の文明開化は、日本をかき回して否応なく都市に人口を集めたわけである。

 第2の異動期は戦後の高度成長だった。
 平成29年の連続テレビ小説「ひよっこ」の主人公は茨城県北部の出身だった。東京オリンピックの1964年。東京に出稼ぎに行っていた父が行方不明となる。確か、当時「蒸発」という言葉が流行っていたので、この場合も蒸発に違いない。
 主人公は父を探す目的もあって東京に集団就職した。 神武景気は1954年からで東京タワーもできていただろう。三重野日銀総裁の金融引き締めでバブルのはじける1991年まで、それなりの経済成長が続いていた。
 一方、この経済成長期には中山間地帯の農山村では青年層が流出し過疎化・廃村が相次いでいた。
 工場地帯は煙突から煙もうもうの公害地帯だった。

 小学校・中学校の冬はストーブ当番があり、少し早く行って新聞紙と細い木を使って石炭に火を付けたものだった。

 むろん、青雲の志が実現する時代であり、ドイツ民謡「故郷を離れる歌」
園の小百合 撫子の花 垣根の千草
今日は 汝をながむる 終わりの日なり
さらば故郷 さらば故郷 故郷さらば

 島崎藤村の「ヤシの実」
名も知らぬ 遠き島より 流れ寄る ヤシの実一つ
故郷の岸を離れて 汝はそも 波に幾月
もとの木は 生いや茂れる

 今は、私の住む小路で赤ん坊の泣き声はめったに聞こえてこないし、
 老人世帯、一人世帯、空き家が増えて、
 そものも子供を見るのは学校の行き帰りの行列だけになった。
 という年寄りの繰り言日記になってしまった。

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