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2023年07月16日11:49

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浮世の謎(122) 加藤周一「20世紀の自画像」ちくま新書2005

 著者は1919-2008 東大医学部卒業、医師、作家。

 1.敗戦
 25歳の時に敗戦、自伝「羊の歌」に「敗戦は解放(1945年8月15日)」と記す。
日本人の圧倒的多数は戦争支持だったので全体には憂鬱な空気になったが、私は戦争に批判的だった。
 自分自身で表現できる言論の自由を得たことを喜んだ。
 多くは米軍に略奪されると怯えていたが、実際はチョコレートやタバコをくれた。
 占領政策は農地改革や男女平等で、民主化の押し付けだったが「負けてよかった」
 ★戦時体制は戦争協力を強制するわけで、どの国も同じである。加藤は自身で言うように個人主義者として一貫しているので、抑圧だと感じられたのだろう。

 2.天皇制
 1946年に東大の学生新聞に「天皇制を論ずー問題は天皇制であって天皇ではない」発表
 明治憲法下の天皇制官僚国家は、軍国主義に進んで惨憺たる失敗をした。
 日本中小学校から天皇制が満ちていた。後に丸山眞男(1914-96)に「無責任の体系」と教わった。縦社会で盲従しかないから責任もないが、トップの天皇は責任を取らない。
 ★大戦争で負けた国は、たいていが王政を廃止したし、ソ連のように処刑したりする。イタリアのムッソリーニはパルチザンに処刑された。
 しかし、日本は昭和天皇の全国巡幸が国民を再統合したと言える。まさに新憲法の「天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」を実践し、実証したわけである。
 今でも、大災害が起きた時には天皇皇后が現地を慰め激励している。
 昭和天皇は全国巡幸によって、自身を国民に預けたわけで、マッカーサーたちは危険すぎるとみていたが、GHQのルーズベルト左派などは暴動が起きる可能性が大きいと見ていた。
 丸山眞男は(怒る)民衆に中に入っていく危険と怖さを(ムッソリーニの最後を知っていながら)無視したわけで、知的に卑怯で党派的だった。それに、徳田球一書記長の共産党は暴力革命を主張していた。

 3.戦争責任
 ヒロシマの原爆は天から降って来た天罰である。
 日露戦争以後、中國を侵略し、一般庶民までたくさんの人を殺して植民地化を図った。英仏も悪いことをしたが日本は極端に悪かった。
 東条や岸などの指導者の責任は当然だが、知識人階層の多くも戦争に協力した。それなのに、実態を知らなかったなどと武者小路実篤のように責任を逃れようとした。
 ★加藤が一流の知識人で評論家でもあることは本書を読めばわかるのだが、太平洋戦争の理解は共産党の主張の丸のみである。(世界征服を目指す帝国主義国がつぶし合った後、革命が起きて社会主義が訪れる、との未来展望)
 当時の第3世界は欧米諸国の植民地だった。中国は内戦ながら半植民地で、東南アジアからインドの多くは英国の植民地で、その解放戦争の一面があった。だから、当時の新聞記者も含めて知識人階層が応援したのである。
 なので、敗戦後の東京裁判でインド代表が日本無罪を主張したのである。ニュルンベルク裁判でドイツの味方がいたと言う話は聞いたことがない。
 結局、加藤は「講座派マルクス主義」に基づいていることで分かるように、共産党シンパだったに違いない。個人主義者だということなので党員でないことは確かだと思う。

 4.前近代的社会だった
 講座派マルクス主義学者が戦前の前近代性を指摘していたように、明治維新は市民を自由にしたフランス革命ではなく、天皇中心の絶対王政をもたらしたと思う。
(一方、労農派マルクス主義者は、明治維新を起こしたのは下級武士階層なので、不十分ながら市民革命とした)
 ★大正から昭和初期までモボ・モガ時代だった。長谷川時雨の「女人芸術」の応援を得て、林芙美子や尾崎翠、壷井栄などの女流が輩出し、戦後派時代を除いて今も女流時代のように見える。

 5.1968年は不思議な年だった
 アメリカはベトナム戦争・ヒッピーの時代で、ヨーロッパに行ったらチェコにソ連軍が侵入した。
 学生運動 フランスの5月革命、アメリカはベトナム反戦、ドイツ、イタリア、日本も安保反対運動があった(私加藤はカナダに在住10年目だった)。
 安保改定に反対した。安保があるからアメリカの戦争に反対できない。(戦犯のはずの)岸首相は国会に警官を入れて強行採決した。安保と民主主義は相いれないのである。
 ★確かに、戦後体制がほころび始めたメルクマールの年かもしれない。そして、今の時代がソ連・ロシアの最後の時代かもしれない。ウクライナ侵略はNATОに押されて最後のあがきだろう。
 ところで、加藤の民主主義理解がおかしい。そもそもが暴力革命支持でソ連や中国共産党政権への批判がない加藤ではあるが、民主主義が多数決で決する政治だと分かっていないのでないか。岸首相が国会に警察を入れたのは、社会党が議場にバリケードを作って採決させないようにしたからである。当時の社会党と自民党のどちらが民主主義の破壊者か明白ではないか。実際、浅沼委員長が暗殺され、総選挙では社会党への同情票が集まるかと思われたが、自民党が圧勝した。
 結局、安保反対の大騒ぎは全学連と彼らを応援していた新聞の見せかけにすぎなかったのである。イデオロギーに固まった加藤には理解できず、日本人の前近代性への信念を強化しただけだったに違いない。


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