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2017年03月21日14:01

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ファンタジーの中へ(79) セルマ・ラーゲルレーフ「モールバッカ」

 セルマ・ラーゲルレーフ「モールバッカ ニルスの故郷」柏艪舎2005
1枚目 「モールバッカ」表紙絵
2枚目 モールバッカ農場の屋敷(セルマによって改築されて、子ども時代のものではない)
3枚目 「ニルスの不思議な旅」の雁

 セルマ・ラーゲルレーフ(1858-1940)は「ニルスの不思議な旅」の作者であるが、私は昔読んだきりで、内容は忘れてしまった。図書館で見つけて題名に惹かれて借りだしたのだが、本書はラーゲルレーフの幼少時の思い出であり、モールバッカとは荒れ地(モー)坂(バッカ)を意味して、昔はただの放牧地であったのだが、ここに彼女の先祖が屋敷を建てて牧場にしたのである。表紙絵は、その坂の多い丘陵地の牧場と屋敷を描いている。
 ということよりも、本書で驚かされるのは、彼女の祖母(リサ・マーヤ・ヴェンネルヴィーク)が孫たちに語って聞かせたり、家政婦がリサ・マーヤから聞いたという昔話で、それが奇譚に充ちていることであった。当時(リサ・マーヤの若い頃は江戸後期)、もちろん迷信の中で暮らしていたようなものだから当然かもしれないが、それ以上に、彼女の祖母自身が怪奇現象を起こす人らしいことである。

 ラーゲルレーフはモールバッカのあるヴェルムランド地方の伝承を集めた作品もあるということなのだが、当時は、地方の伝承は貴重な昔話として再発見された時代だったのだろう。たとえば、ジョルジュ・サンド「愛の妖精」1849 は魔女の娘と噂される少女ファデットを主人公にしている。魔女は必ずしも全部が魔女裁判にかけられて焼殺されたわけではないらしい。

 ということで奇譚である。リサ・マーヤの父は農場主であると同時に牧師であった。彼の祖父モレルが最初に牧師になったのだが、そのきっかけに伝承があった。その時の牧師は使用人にきびしく、日本で言えば江戸中期だろうし使用人は家臣扱いだったに違いない。その責めを受けて使用人は自殺してしまったから使用人の友人たちが承知せず、牧師の帰りを待ち受けて懲らしめるつもりが殺してしまい、追剥にやられたように見せかけるため遺体をそのまま放置しておいた。実は、殺された牧師は首をつった使用人を下ろすために死体に触れていたのだが、これによって牧師も穢れをうけたとされたのである。で、夕方になると牧師の幽霊がその場所に立つことになって、ある勇敢なおかみさんが幽霊を説得したことでやっと出なくなったとのことである。
 その後モールバッカ農場の息子のモレルが勉強して牧師になり、女子しか子どもがなかったので、地域住民の要望を受けて牧師を夫に迎えて農場主にした。リサ・マーヤも一人娘だったので、父の牧師が死に、実母は死んでいて後妻だった義母が、リサ・マーヤも牧師と結婚するようにせまった。ところががんとしてリサ・マーヤは承知しない。そもそも義母は冷酷なところのある人だったのである。
 農場で飼育している鵞鳥たちは、上空を雁が渡っていると騒ぎ出し自分たちも飛ぼうとするのだが、多分、太っているためか普通は飛べないのである。ところが、一羽の雄が飛び上がり群れについて行ってしまった。その雄は翌年雌と子どもたちを連れて戻って来たのである。喜んだリサ・マーヤが義母に知らせると、義母は戻った鵞鳥の家族すべてを殺してしまった。他の鵞鳥への見せしめだというのである。
 これは、私個人の見方なのだが、この話がニルスが雁に乗って旅をする物語の種になったのではないかと思う。この少年小説は教師だったセルマが地理の勉強用に書いたものだとのことだが、あの殺された鵞鳥一家をこういう形で蘇らせたに違いないと思う。

 義母はリサ・マーヤを承知させるために街の裁判官に相談に行った。その帰りである。突然、馬が暴れて馬車が道を外れて畑に入ってしまった。さらに、地面が動き出したとみれば、そこに何万ともいう小動物(旅ネズミ)が走っていて、次から次へと走って来るのである。義母はすっかりおびえて、御者はやっと馬車を道に上げて屋敷に戻ることができた。以来、義母は結婚話をしなくなったとのことである。

 ある時、リサ・マーヤが馬に乗っていると、美しい馬が脇を走って湖に近づいたと思うや、いきなり湖に飛び込み沈んで行ってしまった。リサ・マーヤは助けようとして湖に馬を寄せようとしたが馬は動かずに、逆に家に向かって走り出した。そもそも、そこは普段は枯れた川があるばかりで湖などなかったのである。

 さて、誰と結婚するのか、若い女性がそれを知る方法があった。夜、塩パンをたくさん食べて水を呑まずに寝るのである。彼女は、夢に、モールバッカに向かってくる馬車を見た。降りてきたのはラーゲルレーフ牧師と彼の息子らしい青年であった。牧師はリサ・マーヤに水が飲みたくないかと尋ね、青年がグラス一杯のきれいな水を差しだしたのである。その水をくれた青年が彼女の結婚相手なのである。
 次の新年の朝にそりに乗った青年が枯れ草を買いにやって来た。ダニエル・ラーゲルレーフという製鉄所の管理人で、同時に連帯付き会計官だった。
 結婚相手は分かったのだが、彼の暗い雰囲気を見て、好きになる自信を持てなかった。彼には婚約者がいたのだが彼女が死んだ後もう結婚しないと決めていたのである。
 最後にリサ・マーヤは御者にラーゲルレーフ会計官を呼びに行ってもらって、自分の結婚相手を知った夢の話をした。彼は自分のことは誰かに聞いたのだろうと言って信じなかったのだが、父親だという牧師の様子を聞いて態度を変えた。父に間違いがない。しかも、父はリサ・マーヤの生まれた年に死んでいたのだった。これは、父からの紹介に違いないと思ったのである。

 という経過で結婚し、子どもも二人生まれたのだが、夫は管理している製鉄所を回る旅に出ていることが多かった。ある夜、一人編み物をしていると、いきなり大雪となりたちまち降りつもった。窓の外を見るとオオカミの群れがいて、しかもその口に赤ん坊を銜えていた。自分の子は脇で寝ている。使用人たちにも赤ん坊はいないはず。とにかく、彼女は走って玄関の戸をあけた。と、そこには雪はなく、狼もいず、月光があるばかりだった。
 リサ・マーヤは使用人たちに狼に注意するように言っておいたのだが、夏になって、くたびれて飢えた兵士たちの一隊がやってきた。食事を用意して寝る場所を作ってもてなすと、次の日、彼らは先へ進んでいった。しかし、二人の赤ん坊はチフスにかかって死んでしまった。御者は製鉄所を回って驚く主人を連れて帰った。リサ・マーヤは夫に詫びたが、夫の方が自分が悪かったことを認め、それ以来、長い間家を開けることは無くなったとのことである。

 さて、肝心のセルマ自身のことである。父は中尉でやはり祖父の後を継いで軍隊に入っていた。叔母(父の妹)のロウィーサは結婚せずにそのまま農場に住んでいた。母は街の工場主の娘だった。
 セルマは三歳のとき歩けなくなった。姉は五歳、兄は7歳だった。セルマにはバックカイサという名の子守がつけられ、ここにセルマ王女の黄金時代が始まったのである。バックカイサは迷信深い大柄の少女だったが、セルマ絶対で、この世で一番可愛く賢い子だと信じて、もし、姉の方がきれいな服を作ってもらったらセルマにはもっときれいな服がいると主張するのである。わがままが通ると知ったセルマは普通の食事は手をつけず、好きな菓子がでるまで食べなくなってしまった。
 ところががっかりしたことに黄金時代は早くも終わってしまった。妹が生まれて、バックカイサ以外の家族の注目は赤ん坊の方に取られてしまったのである。
 一方、彼女の足の治療のために、主治医、町一番の医者、さらに(両親に秘密で)祖母やバックカイサの発案で魔女にも頼んだがだめだった。
 気候の良い西海岸で夏を過ごしてみようと、両親、叔母、兄、姉に子守のバックカイサは馬車と船を乗り継いで大旅行に出かけた。湖を渡るときは風が吹いて皆船酔いになったが、バックカイサは真ん中で水が滝になって落ちているせいだと思ってすっかり怯えていた。
 西海岸の街では、港に大きな船が着いていて、その中を見ようと父の発案で皆で乗り込んだ。セルマは甲板にいたのだが、船の少年が極楽鳥を見せてあげよう、足がないんだよと誘ってくれたので、好奇心旺盛な彼女は少年について船室までおりて、美しい極楽鳥をあかずに眺めていたのだが、突然、大きな悲鳴が聞こえた。セルマ、セルマと叫んでいる。彼女が驚いて返事をするや、家族全員が狭い船室に入って来て、どうやってここへ来たと尋ねた。そういえば、どうしてだろうと彼女は立ちあがったのである。
 みな大喜びでモールバッカに戻ってきたが、一年後祖母のリサ・マーヤは亡くなった。
 この経過をみて、私にはリサ・マーヤの祈りかなったのでないかと疑えるところである。

 ということで、大農場の思い出話はまだまだ続くのであるが、これくらいにしておこう。当時のスウェーデンは、どこでもそうだったが上下格差が大きかった。貧しい小作人たちは、杖で山を叩けば酒が出てくる国、木の葉が金でできている国がある。俺は絶対あのアメリカへ行くんだ、などと語り合っていたとのことである。実際、19世紀の間に、スウェーデンの人口400万人の内、100万人以上がアメリカへ移民したとのことである。

 この迷信深い昔話を読んで思いだしたのが、「トム・ソーヤー」や「ハックルベリ・フィン」に描かれたマーク・トウェイン(1835-1910)の少年時代だった。黒猫が前を横切ったら・・・何かまじないを、などという、どの程度一般的だったのか知らないが、迷信の世界が広がっていた。
 ナサニエル・ホーソン(1804-1864)のギリシャ神話の子供向け再話「ワンダ・ブック」には、語り手の伯父の屋敷に逗留していた大学生のユースタス青年が親戚や近所の子供たちにギリシャ神話を物語るのだが、それを聞いた伯父さんは、異教の神の話を子どもたちにしてもよいのか、と心配する場面があった。ボストンなどのアメリカ東部は厳格なプロテスタントの開いた街だったのであり、メイフラワー号1620年から200年がたっていたのだが。むろん、ホーソンから200年後の現在はすっかりリベラル地帯に変貌している。

 セルマ・ラーゲルレーフ時代のスウェーデンも厳格なプロテスタント地帯だと思うのだが、ここでは牧師の曾孫で、父方は牧師を輩出しているのだが、その江戸後期に生きたリサ・マーヤは怪奇現象に出会っても、神よ悪魔から守りたまえ、などと十字を切って祈らないどころか、魔女に親しむ心性を持っていたとしか思えないし、それを咎められることもなかったらしいのである。スェーデンにも遠野物語があったようである。
 神の奇跡はあっても、不可解な怪奇は無い。すべて論理的に解けることだ、というのは、チェスタートンの探偵ブラウン神父だが、結局、このキリスト教の原理・原則は一般化していたのではなさそうである。
 ワシントン・アーヴィング(1783-1859)の「スリーピー・ホロウ」は、映画でしか知らないが、首を切られた騎士がスリーピー・ホロウ(ニューヨークのある地区らしいが)にやってくる人を殺すという伝承だった。アメリカに残っている、「リップ・ヴァン・ウィンクル」などと共に数少ない伝承とのことである。

 つまり、宗教というものは、人間の「信じる心」を神仏に一体化させようとするものだが、厳格なキリスト教ではできなかった。それでも、イスラム教ではできているのかもしれない。イスラム地帯では伝承というものは絶滅させられ、アッラーの奇跡しか残っていないのか。それとも、イスラムにも奇譚の時代が蘇るのだろうか。その時まで、生きていることは無いだろうが。
 ところで、百目鬼恭三郎「奇談の時代」があったが、どこに行ったかみつけられない。それは、宗教的リベラルの時代といってもよいものだろう。教訓、奇跡を独占してはならない。

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