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2016年08月19日21:22

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近所の景観散歩(1) 常名(ひたな)と真鍋の道標

 1枚目 常名(ひたな)の道標
 2枚目 常名から見た筑波山(遠くの二つ峰)
 3枚目 水戸街道から筑波街道の分岐点にあった道標(真鍋)

 私の棲んでいるのは土浦の旧真鍋町である。真鍋は、霞ケ浦低地、つまり土浦市中心街を見下ろす台地上にある。ということは、古代人の住んでいた場所で、貝塚や古墳もこの台地上にある。
 常名(多分旧村)は真鍋の隣りであるが、いつも不思議な名前だと思っているのである。常陸(ひたち)の国といえば、茨城県の旧名である。「名」が付くのは荘園を示しているのでないか? ということは、常陸の国名は、ここ常名から取られたのか? いや、しかし常陸の国の国府は土浦市の東隣りで筑波山の東の石岡市にあったのだが。
 ということで分からない。この道標は昭和3年の御大典記念に建てられたと刻んである。つまり、昭和天皇即位の記念と言うことになる。筑波街道、真鍋、本村(つまり常名の中心)などとある。住宅が迫っているが、少し北へ行くと今も葱畑が広がっている。
 私は十年前に引っ越してきたのだが、その時、二十年前はほとんど畑だったと聞いている。台地なので、そして川がないので水田にならないのであろう。川はあってもすぐに霞ケ浦低地に下ってしまうのである。雨水は地下水になるのだろう。
 
 もう一つの道標は、馬頭観音碑である。これはもともと、水戸街道から筑波街道が分かれる地点に立っていた。建ったのは昭和6年で、真鍋馬車組合と裏に書いてある。多分、畑でとれる馬鈴薯やキャベツを常磐線の土浦駅まで運んでいたのでなかろうか。人も乗せたのだろうが。
 今、この道標は元農家だった家の敷地の端に立っていて、まったく街道と関係のない場所である。多分、国道(6号)の拡張の邪魔だと言われて関係者が引き取ったのでなかろうか。

 変わらないのは地名と筑波山だけのようである。
 
 

 
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