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2014年03月23日16:12

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フィクションの中へ(31) あいまいな日本の私

 大江健三郎「あいまいな日本の私」岩波新書1995 を読んだ。私はこれを、同じく、ノーベル賞受賞演説である川端康成「美しい日本の私」のパロディではないかと疑っているのである。
 この本は、いくつかの講演を集めたもので、全体の題名となった受賞演説は短いものであったが、しかし分かりにくいものでもあった。大きく言えば、明治以来の日本の政治的批判の部分はきわめて明快だが、「あいまいな日本」を描いている「私」の部分が難解にみえた。

 最初に大江は川端の演説を紹介して、「美しい日本の私」をきわめて曖昧(「vague」姿かたちなどがぼんやりした )であると評価し、それに対して自分の「あいまいな日本の私」の曖昧とは ambiguousの意味で両義的なものだという。
 端的にいえば、川端のものは日本の曖昧さへの「敗北の文学」とみているのであろう。確かに芥川のように自死したのである。

 まず大江の明快な政治的意見であるが、日本は明治以来、伝統文化を残しつつ欧米文化を導入し(つまり、和魂洋才)、アジア諸国を植民地としようとする侵略戦争の結果、アジア諸国に大きな惨禍をもたらし、自身には原爆投下という罰をうけたのである。それを反省した戦後の日本国憲法では、欧米人には理解してもらえるはずの「良心的徴兵忌避」というべき「戦争放棄」条項を採用したのだが、なお、戦前の野心を失わないものたちの危険な策動が続いている、というものである。
 しかし、大江の日本主導による太平洋戦争論よりも、ソ連のレーニン・スターリンによる帝国主義諸国間の戦争であったという評価の方がよほど真相を突いていると思うのだが。ソ連にとって、原爆が争いあう帝国主義諸国のどこに落ちてもよかったはずである。共倒れのすきを突いて漁夫の利の世界革命が起きるに違いない・・・はずなのだった。
 逆にいえば、植民地だった東南アジア諸国にとっては、イギリス、フランス、オランダなどの植民地宗主国を弱体化させてくれ、独立運動がやりやすくなったのであるから、道徳と違って動機よりも結果が重要な政治の世界では、日本は植民地時代を終わらせた立役者の一つだと評価されてもいいはずであろう。実際、東京裁判にインドのネルー首相がパル判事を、上野動物園にはゾウのインディラ(後に首相になった娘の名前を付けた)を送ったのは、その恩義を暗黙のうちに伝えたかったからだと思える。
 長く戦場になった中国にはいいことはなかっただろうが、毛沢東は日本と蒋介石の戦争の消耗のおかげで自分たちが革命戦争に勝てたのだとの認識で、あまり日本批判はしていなかった。もっとも、民衆にとっては、毛沢東が喜ぼうとどうであろうと、日本による戦争自体が災難だったことは間違いない。
 まことに、大江の言うように世界は両義的いや多義的でさえあるに違いない。Ambiguousなのは日本のみではない。

 で、肝心なのは大江の文学論なのだが、そもそも世界は両義的なのであって、明治以来の日本はとりわけ先鋭的に両義的であった。つまり欧米の進取的な価値観を取り入れようとする努力と、それで得た力をロシアやイギリスに対抗してのアジア侵略に使ったという二つの側面を持っていたのである。
 もう、戦後はそういう面での両義性はなくなったが(大江はなおも復活すると信じているが)、欧米的近代化と日本固有の伝統文化の間の両義性は残っているし、たぶん、その葛藤が終わることはない。しかし、それでよいのではないのか。大江が方法論として使っている「異化作用」やフランスのユマニスムの両義性は、人間社会の本質を両義的ととらえて、だからこそ寛容であるべきとするのであろう。
 しかし、大江からは日本社会への寛容な心を見ることができない。いや、大江は日本の政治への批判だというかもしれないが、もとより日本の政治を作っているのも日本の民衆である。丸山真男の高級知識人とファシズムの走狗となった大衆(地方の有力者)の二元論が、今なお大江の中に生きているに違いない。
 この単純な善悪二元論に対抗したのが吉本隆明だったのだが。

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