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2011年12月16日14:09

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時代の中で(19)  「大江健三郎」の誕生

 大江健三郎について、福田和也は「作家の値打ち」飛鳥新社2000で、強烈で異様なエゴの持ち主と評している。私もそう思うのだが、なぜそうなるのかを考えてみた。大江健三郎の「懐かしい年への手紙」講談社1987 は、作者の人生の師匠であるフランス文学者渡辺一夫の死をきっかけとして、翌年にメキシコの大学で客員教授に行った時から、過去を回想し、それまでの人生と著作を検証しようとした自伝的な小説である。 
 ここに登場するギー兄さんとは、作者(Kちゃん)より5歳年長の山林地主の息子で、生涯にわたって作者の師匠となる人物。渡辺教授をはじめ、実在して早世した山林地主の息子、そして作者自身を含めて、数人の敬愛する人物が合成されているとのことである。
 作者が「奇妙な仕事」に始まる著作を書いていくとき、その都度ギー兄さんが批評し励ますという仕掛けである。これは、数年後の自身が、その時の自身を評価し検証して、次へと進んでいくという手続きであり、一般的にも使える手法ではないだろうか。つまり、何か失敗したことを、いつまでもくよくよしていくのではなく、数年後の経験を積んだ自分自身が、失敗した自分を批評し慰めることで、その失敗を心理的に乗り越えていけるのではないかと思われる。
 この小説でいえば、作者はデビュー当初に、「子供っぽい人間、子供っぽい作品」と批判されたことに関して、ギー兄さんは「Kちゃんは子どもの時、他の子供より子供っぽかった。将来は、子供っぽい老人になるはず。むしろそれが武器になる。モームが吃音というコンプレックスをえび足にかえて人間の絆を書いたように」と励まされる。
 また、社会党浅沼書記長暗殺をモデルとした「セブンティーン」などの出版と謝罪広告で、右翼、左翼両方の攻撃を受けた時には、四国の森へ帰って来いと声をかけられている。作者が帰ることはなかったのだが、小説の中では、たびたび帰り、この峡谷山村の大瀬村を発想の地としているのである。
 この大瀬村には高校生の時までしかいなかったのだが、峡谷の森と祖母や母の伝える伝承、民話が作者のハイマート、ふるさととなっている。ここに、村人は登場しない。作者の家は村で孤立状態にあり、中でも一風も二風も変わりものと見られていた作者自身はのけもの扱いだったからである。あだ名はnaif、護身用に飛び出しナイフを忍ばせていたから。
 作者は、急先鋒の天皇批判者であるが、そのロジックは、戦前の日本は天皇を頂点とし、中間に東京の警察組織、国家組織、超国家主義があり、末端に村社会、共同体、父親が存在すること、そして今でも右翼や暴力団を含めてその体制が支配しているからだというのである(「大江健三郎・再発見 集英社」での井上ひさし、小森陽一との座談会)。つまり、大瀬村に、天皇制の末端組織を見ているのであり、作者の故郷への愛憎は、一般人のそれと比較にならないほど深く、ノスタルジーなどというレベルではなく目の前に立ち現われているのであろう。まるで、三島由紀夫の「金閣寺(すなわち天皇)」のように。ベクトルは逆ではあるが。
 大江健三郎という精神は、少年時代に完成していたのであり、高校から大学生のころ作家修行をしたということであり、手法的には発展はあったが内容は同じなのである。言いたいことは、すでに少年時代に確立され、その後の変化はないのである。
 この点、中上健次も同様であろう。新宮市の被差別部落の複雑をきわめる家族関係(母親が何度も再婚するからなのだが)のなかでの、土建業での生活や家族間の葛藤を描きつくすこと。ただ、中上は大江と違い、作者が路地と呼ぶ被差別部落を含めて、故郷への愛着が深く、人間関係も生涯継続していた。中上の小説には故郷に実在した人物が肯定的に描かれているのだが(父親像を除いて)、大江の小説では登場人物に故郷の人物がモデルとなっていることはない。
 故郷への度を越した愛憎が、福田の言う異様さを生み出しているのに違いない。日本社会を根本から変革するという意志では、三島由紀夫と同じであり、そのためには反乱が必要だということも。三島の実践にはフェイクと言って冷笑しているのだが。
 作家の魂は少年時代に形作られる。多分、大江にそれは異様だといっても、子どものころからだと返されるのであろう。少年のいた環境と、それを受ける感性によってこねあげられるのである。
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