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2011年04月21日05:45

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小説の中の謎(79)  陸軍とマスコミの幻

 山本七平「私の中の日本軍」文春文庫1983(単行本1975)は、旧日本軍、特に陸軍の「虫瞰図」である。鳥瞰図はたくさんあった。しかし、虫の目で部分だけでなく、全体をみたものはあまりないのでなかろうか。
 陸軍とは歩く軍隊である。典型的なお役所であって、ハンコがなければ何もできない。将校は下士官のすることに介入できない、たとえば悪名高いリンチ、私的制裁を止めることができない、などなど…。
 この本は、戦後も30年たってから、朝日新聞の本多勝一記者との「百人斬り」論争に触発されて長くなったに違いない。ほとんどの章が、この論争に関連して説明され、論じられている。「百人斬り」とは、昭和12年の南京攻略戦の時に、二人の少尉が、どちらが早く日本刀で百人斬れるかを争い、それぞれ百人を超えたと、毎日新聞浅海記者によって報じられた記事であり、これが事実かほら話かが論争になった。
 山本七平は、少尉の一人が副官であって、部隊のハンコを持っていること、隊長のそばを離れるわけにはいかないこと(記事には副官が伏字になっている)という陸軍組織の規則を一つの根拠として、これが、単なる記者相手の戦意高揚ほら話であると疑ったのである。それからの、詳細な証明は、ひとつ読み飛ばすとついてゆけなくなる長大なものである。
 これは、日本軍論であるとともに、マスコミ論でもある。記者がどのようにして記事を作るか、また新聞社の期待にこたえようとしているか。新聞は読まねばならないが、読み返すものではない。という格言があったが、この記事で二人の少尉が処刑されたように、実際の被害もあるわけであるから、マスコミウオッチングは必要不可欠である。
 ところで、旧日本軍が「真空地帯」か、それとも日本社会そのものかという論争が、野間宏と大西巨人の間にあって、大西巨人は「神聖喜劇」を書いたわけであるが、山本七平を読むと、日本社会ではあるがその極限状態、真空状態だったのであろうと思える。
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