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2022年06月08日08:53

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歴史の物語(53) 島 泰三「ヒト 異端のサルの1億年」中公新書2016

 1枚目 大陸移動 レムリア(マダガスカルとインド)がアフリカから分離
  栃木県の地球科学ブログより
 2枚目 サル目の系統樹      (明治大学)蛭川研究室ブログ
 この図にあるように、ヒト科の大形類人猿は一旦衰退したのだが、文明を得た人間だけが増加に転じて一人勝ちしたとのことである。
 3枚目 現代人諸民族の母系の系統関係 ミトコンドリアⅮNA分析による
  にっぽん ってどんな国?ブログより
  写真はネットから

 著者は1946年生、東大理学部大学院を経て、78年に(財)日本野生生物研究センターを設立。房総自然博物館館長、雑誌「にほんざる」編集長、アイアイの保護活動によりマダガスカル国から勲章を授与。

 1.霊長類のアジア発生説
 霊長類はアフリカで発生して、世界に拡散したというのが定説である。
 しかし、本書の著者はアフリカから1憶6000年前分離したレムリア大陸(マダガスカルとインド)での発生の可能性を指摘する。なぜなら、霊長類の起源は9200万年前と推定され、原猿類の中でマダガスカルのレムール類(アイアイとキツネザルが流木に乗ってアフリカ大陸からマダガスカルに渡ったというのが定説であるが、アフリカに化石も存在しないので無理がある。もともといなかったと見るべき。)と他の大陸のロリス・ガラゴ類が分岐するのは6500万年前である。この時にはマダガスカルに原猿類がいた。従って、アフリカではなく、インドの原猿類から新世界ザル(南米)も旧世界ザル(ヒト科、テナガザル科、ニホンザルを含むオナガザル科)も進化し、アフリカへも拡散したことになる。
 ただし、マダガスカルとインドから白亜紀(1憶4500万年前―6600万年前)と新生代前半の霊長類の化石が発見されていないので、まだ仮説段階である。
 従来の霊長類アフリカ起源説の根拠は、カイロに近いファイユームから古い霊長類の化石が発見されていたからだが、最近では、パキスタン、ミャンマー、タイ、中国南部でより古い新生代の始新世(5600万年前―3390万年前)の霊長類化石が発見されるようになったことで、霊長類のアジア起源説が唱えられるようになった。

 2.オランウータンは歌い、ゴリラは微笑む
 スマトラで野生のオランウータンが、木の実を食べつくして満腹した後に歌を歌う(ロング・コール)のに遭遇した。
 アフリカのルワンダではマウンテンゴリラのメス(ルワンダルーシャ)が自分の赤ん坊(イホホ)を抱いて微笑むのを目撃した。また、赤ん坊をくすぐって笑っている母子ゴリラの論文報告もあった。
 (井上陽一「歌うサル テナガザルにヒトのルーツをみる」共立出版2022 によれば、ボルネオで20年現地調査したテナガザルは、毎朝歌うし、夫婦でも歌うとのこと。)

 定説では歌ったり笑うのは人間だけだとされていたが、類人猿は皆そうなのである。
ゴリラははっきりと自己認識をしている。ゴリラに手話を教えた研究者が、メスのゴリラに「あなたは動物か、それとも人間か」と尋ねると、その雌ゴリラは「ステキナ、ドウブツ、ゴリラ」と答えたとのこと。

 3.寒冷期に毛皮を失ったホモ・サピエンス
 ホモ・サピエンスは裸のサルだった。ゲノム解析によれば、ホモ・ネアンデルタールとの違いは毛根のゲノムの変異にすぎなかった。ネアンデルタールは近縁種のチンパンジー、オランウータンなどと同じく毛皮に覆われていたのである。
 ミトコンドリアⅮNAの解析によって、ホモ・サピエンスはアフリカの一人の女性を期限にしていることが確定した。また、1967年にリチァード・リーキーによってエチオピア南部オモ川で発見されたホモ・サピエンスの化石が19万5千年前のものと測定され、これはミトコンドリア変異の推定範囲内に入っている。

 著者の島氏が問題にするのは、20万年前の時期は、地球の長期にわたる寒冷化が始まる時期だったことである。この時期に毛皮を無くすのは、環境への適応による進化というダーウィン説と矛盾する。著者は、怪力の持ち主で王獣と呼ぶホモ・エレクトスから逃れ、湖や川の水辺で魚を取って暮らしていたとする。ホモ・サピエンスは困った変異に、食生活も含めて生活習慣を変えることで適応したわけである。つまり、類人猿の変異したホモ・サピエンスがアフリカ起源であり、出アフリカによって世界に拡散したのは定説どおりである。

 4.日本人は最初にユーラシア大陸の太平洋沿岸に到達したグループにいた
 日本人の近縁者(3枚目)
 ミトコンドリアの解析により日本人に一番近いのは、カムチャッカのイヌイットと南米パラグァイのグアラニ人だった(Мの一番下のグループ)。
二番目に近いのは、シベリアのエヴェンキ、バイカル湖のブリヤート、中央アジアのキルギス人と、またしても南米のワラオ人だった(Мの下から2番目のグループ)。

 大分県丹生遺跡の40万年前の地層で発見された石器はホモ・エレクトス類と推定される。さらに、岩手、福島、山形、長野、香川、長崎、熊本、宮崎で発見されたハンド・アックスは13万年前―3万年前のもので、いずれもホモ・サピエンスのものではなかった。
(★海風注:日本は火山灰による酸性土が多く、アルカリ性の骨は溶けて残らない。骨が残るのは石灰岩層か、縄文時代の貝塚だけ)
 ホモ・サピエンス日本人の祖先は、出アフリカの第1派として12万年前にアフリカを出て3万年前に、樺太とつながっていた日本半島に入って定住したのであった。この地は偶然にも親潮と黒潮の出会う世界三大漁場の一つだった。火山と地震に台風は災難だったが、多くの山脈に区切られた地形は各地に独自の文化を生むことになった。
 ★海風:日本人の近縁者が南米の先住民にいるという理由を、著者は最初に太平洋岸に到達した集団の一部が当時の日本半島に定住し、更にベーリング地峡(当時は陸地だった)を通過して、より暖かい南米を目指したからだとする。そして、朝鮮半島人や北方漢民族が日本人と離れたNになるのは、日本人より後から来た集団だったからとしている。

 5.ホモ・サピエンスとイヌとの出会い
 イヌの起源地は東アジア 
 イヌは1万6000年前に、長江の南で家畜化された。
アフリカを出たホモ・サピエンスは8万年前にイヌなしでアジアにたどり着いた。ミャンマーのマンダレー付近、エーヤーワディ川の中流の高原地帯でイヌに出合ったと想定したい。なぜなら、そこがユーラシア大陸北方種オオカミ生育域の南の端で、その一種の小型オオカミつまりイヌ(10万年前にオオカミから分岐)の生息地だったはずだから(オオカミに対抗できないので南方へ避けたのである)。
 ホモ・サピエンスの最初の定住地は定説のような砂漠のメソポタミアではなく果実や魚介類の豊富な東南アジアだったはず。しかもこの地はホモ・サピエンスが最初に住んでいたエチオピアのオモ川(エチオピア高原南部の大地溝帯を流れてケニヤ国境のトルカナ湖へ注ぐ)の高原とよく似ているのである。
 イヌは人間の残飯や根菜類の残りを食料にできるようにでんぷん分解酵素を持つことができた。犬も人間に適応したのである。
 耳や嗅覚の発達したイヌは眠っている人間を吠えることで起こしたし、寒い夜は抱き合って眠った。イヌなしにホモ・サピエンスは生き延びることはできなかっただろう。

 6.犬と会話するために言葉が必要になった
 言葉の起源
 類人猿が言葉なしに生活しているのに対して、なぜホモ・サピエンスだけ言葉を獲得できたのか? 言語学者たちの常識では、ホモ・サピエンスの発生と同時だとするのだが、ジュリアン・ジェインズは洞窟絵画が言葉の発達と同期していると見て、紀元前2万5000―1万5000と想定し、4万年前からの呼びかけの言葉が、命令や名詞と文に作られたのは1万5000年前とする。
 ところが著者の島氏は、イヌを家畜にしたためだとする。異種間のコミュニケーションのためには身振り手振りのジェスチャーだけでなく、それを補強する言葉が必要になる。
(★海風注:人間でも長く夫婦をやっていると「あれ、それ」だけで意思が通じると言われていた。ただ、今では会話をしないとまずいことになると言われるようになり、面倒なことになっている。)

 イヌは人間の子供と一緒に子犬時代を過ごす。遠吠えしかしない狼の一種がワンワンなどの警戒音や甘えた声を出すようになったのは人間の子供と一種に育ったからであり、逆に、イヌをしつけるために様々な音声やついに言葉に至る声を使うようになった。
 イヌのワンワンは、人間のオーイという呼びかけをまねたものでないだろうか。
 さらに、犬の協力があってこそ、ヤギやヒツジを家畜化できたのである。彼らは頑固なところがあって、イヌがいなければ飼い主の指示に従わない時がある。

 ★海風:まとめ
 著者の経歴で驚くのは、多彩な経歴だが、在野の研究者だということである。著者には「安田講堂1968―1969」中公新書 があって、読んでいないが、当時の全共闘の活動家だったことが分かる。それが大学に職を得なかった(得られなかった)理由なのだと思うが、各地に現地調査を行うことができたのは、国際協力事業団や科研費を得たからだろう。活動的な人物に違いない。
 それと本書に書いているが、メソポタミアの穀物栽培に始まる農業革命とその後の文明を認めない。一方で、農業革命が遅れて1万年の縄文時代(新石器時代)をおくることができた日本の幸運、自然と海の豊穣を讃え、今でもそうなんだから、原始日本人が来た時には天国だと思ったに違いないと想像している。
 各地を巡っての実感だと思うが、本書は世界に冠たる神州清潔の民という予断を捨てて大型類人猿を観察した記録だそうである。

 なお、偶然だが笑うテナガザル研究家の井上陽一氏も在野の人だった。20年に及ぶボルネオでの観察記録は、大学の研究に活用されているとのこと。

 本書の内容は非常に刺激的だが、中でも、毛皮を失ったのはダーウィンの言う適応進化ではなく、逆に不利な突然変異であり、その体に何とか適応して今日があるのだと言ったり、人と犬の出会いが人間の生存と言葉の獲得に決定的だったという主張だった。

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