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2015年01月26日17:16

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時代を越えて(59) 平野啓一郎、萱野稔人 対談「ナショナリズムvsグローバル資本主義」文学界2015.1月号・・・日本もケネディに追いついたか? 感無量の対談。

 なお、平野は1975年生の芥川賞作家。萱野は1970年生の哲学者で、津田塾大の国際関係学科教授。

 対談は、北大生がイスラム国への渡航を試みた後の頃のようで、なぜイスラム国に惹かれたか、という問いから始まっている。

 平野:印象的だったのは、そのドキュメンタリー(BBC・テロリストになった兄)の主人公が、イスラム教に入信したきっかけとして挙げていた事例でした。パリのスターバックスで、子供がそばにいるにもかかわらず、大人たちがセックスの話をしている、と。・・・なんて堕落した社会、文明なんだと怒りを覚えた・・・。p249
 萱野:ヨーロッパで必ずしも貧困や差別だけがイスラム過激派への参加の背景になっているわけではない、という点はひじょうに重要だと思います。イスラム国は第一次世界大戦の結果として引かれた中東地域の国境線を否定していますね。p249-250
 ・・・長期不況で貧富の格差が大きくなったとされている。それは、第一次大戦後のドイツに似ているのかもしれない。ドイツを滅ぼそうとするフランスからの天文学的賠償請求に対して、第三帝国によるゲルマン国家の建設。今は、イスラム移民への排外主義があれば、かたや、国境線を引き直そうとするテロリズムのイスラム国。

 平野:いつの間にか目立つようになってきたのが、中国や韓国への反発です。・・・「反日的」なメディアや政治家を攻撃する「ネット右翼」が台頭し、・・・とくに3.11(東日本大震災)以降は国民の「絆」が唱えられ政治的にも愛国心を強調する方向へはっきり舵が切られました。p252
 萱野:私は、今のナショナリズムの広がりの背景には、社会的なリソースが有限であることに人々がどんどん敏感になっているということがあると思います。・・・在日コリアンが簡単に生活保護を受給しているのを見ると、彼らは(在特会)、日本人でも生活保護を十分に受けられないほど財政は枯渇しているのに・・・深刻なのは、こうした問題意識に対してリベラルの側が何の対応もできていないことです。・・・リベラルな人たちは福祉政策などのリソースの分配には熱心ですが、リソースの枯渇や有限性には無頓着です。p252
 ・・・中国や韓国への反発のきっかけを、東日本大震災にもってくるという見方を初めて知った。すこし考えすぎではなかろうか。
 一番大きいのは、韓国や中国の反日無罪をみたからでないのか。中国での日系企業への打ち壊しや略奪。南京大虐殺記念館。慰安婦象の日本大使館前や関係のないアメリカでの設置。戦時中の中国人工員への賠償請求に差し押さえ。韓国での遡及「法」での日本追求に親日「罪」。
 これらは、大新聞(オールドメディア)にはあまりでないが、ネットでは毎日のようにでてくる。特に、韓国の日本非難の論調の紹介記事は、大新聞に出ないだけ大きなカルチャーショックであった。
 萱野によるリソースに無頓着なリベラル批判は重要だと思う。これが、民主党の興隆と短期間の没落の原因だろう。


 平野:震災後あらわになってきたもう一つの傾向として「本音主義」があると思います。p253
 萱野:(要約)オールドメディアは万人向けの建前的な言説。ネットは建前論を批判。p253
 ・・・そのとおりだと思うが、これも中国や韓国の本音を知ったことによる自己防衛の面があると思う。なにしろ、大統領が日本を千年恨むと言ったのだから。戦前の近衛声明「蒋介石を相手とせず」に匹敵する名(迷)文句に違いない。


 萱野:理論的に考えても、人類史をみても、私たちが暴力を管理する方法は二つしかありません。自分自身で暴力に対処するか、或いはそれを誰かに委ねるか・・・。後者の場合、国家がうまく機能していないところでは、マフィアやヤクザに委ねるしかない。・・・今では「萱野は右なのか左なのか分からない」なんて言われています。p256
 平野:日本という国家を自分と同一視し、中国政府が日本を非難していると聞くと、あたまも自分が非難されたかのように激高する人が増えたのは、3.11以降の心情的な一体感が関係していると思います。p257
 ・・・萱野が本当のリベラルの立ち位置だと思う。警察や自国軍を否定するのはアナーキズムか何かであろう。そもそも、私は日本国にしか主権を行使できない。つまり選挙権は日本に対して持っているし、何かあったときに警察に駆け込む権利もこれが日本だから、その主権者だからである。その主権の行使の結果の政権が管理する警察や軍隊を敵視するという心理とは、よほどねじれたものに違いない。
 したがって、無論全面的にではないが、私は日本に、また日本政府に一体感があるが、中国に対しては人道的なもの以外の一体感はない。古代文化は尊敬しているのだが。

 平野:僕が不思議に思っているのは、自己責任論を強調する人ほど国家に対する忠誠心・信頼感が強いように見えることです。本来、自助努力を重んじる立場は、政府による再分配機能に否定的なリバタリアンのはず・・・。ところが彼らは「国家が何をしてくれるかではなく、自分が国に何をできるかを考えよ」式の愛国的な主張をする。・・・矛盾を感じないのか。p258
 ・・・この対談で注目したのは、この平野の発言であった。ケネディ大統領の歴史的名演説を、平野はただの盲目的な愛国心の発露かのように感じているらしい。民主主義は自己責任の基盤があってこそ機能する。リンカーン大統領の、「人民の、人民による、人民のための政治」の中の、「人民による」という部分を強調したものだと思う。
 「人民のため」だけを言っていると人気はでるだろうが、ギリシャのように国家破産に向かうことになる。しかし、多分、アナーキスト系のリベラルは国家破産万歳と思っているのかもしれない。

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