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2013年08月09日07:45

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フィクションの中へ(6) メメントモリの鐘

 子規「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」はあまりにも有名で、芭蕉の「古池や蛙飛びこむ水の音」に匹敵するとウィキにあった。ところで、ウィキによれば「古池」句が有名になった理由として、子規は「ありふれた事象に妙味を見出した」ことで俳諧の歴史に一線を画したからだと解釈している(ホトトギス1899.10)とのこと。
 だとすれば、「柿食へば」海南新聞1895.11.8初出もそうなのか。作者の言うことではあるが納得できない。そもそも、子規の言う「ありふれた事象(の写生)に(現れた)妙味」とは何だろう。「妙味」などという曖昧な美学は子規が前提としているリアリズムの理論にありえるのだろうか? これでは水墨画の前で茶を喫している主人と客の問答のようだ。こんなことだから、日本人の美意識が、小野十三郎「激しく水墨に抗して霞をはかず」だとそむかれ、大江健三郎「曖昧な日本の私」などとからかわれるのである。

 脱線したので軌道に戻る。私の解釈では「柿食へば」は日常の事象の中に死を忘れるなと教える鐘の音が届いた、という日常のすぐ隣にある永遠の相に気付いたことを表現したものである。子規の最初の喀血は1889年23歳の時、さらに1895年日清戦争の従軍記者の時に喀血して、郷里の松山で静養中だったのである。写生やリアリズムを狭く解し過ぎだが、実作は自解を越えていると思う。
 ついでに、「古池」も、蛙の飛びこむ音に、藪に隠れて忘れられていた古い池の存在に気がついた、ということで、永遠の存在に気づく瞬間の比喩とみてよいと思う。

 鐘の音が永遠の相を告げているとするのは、ヨーロッパでは常識に違いない。ジョン・ダン(安土桃山から江戸初期の人)の瞑想録17「誰がために鐘は鳴るのかと。それはあなた自身のためにも鳴っている・・・」
 ヴェルレーヌ「偶成」では「打ち仰ぐ空高く御寺の鐘は 柔らかになる。・・・ああ、神よ。質朴なる人生は かしこなりけり。・・・君、過ぎし日に何をかなせし。・・・」

 そして、日本でも常識である。ただ、子規は伝統美学を否定するあまり日本人の伝統的精神も一緒に捨てて、小泉八雲に再発見されることになったのであろう。しかし、子規の深層意識の中のものまで捨てることはできず、「柿食へば」句になったものだと思える。
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