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2013年01月31日11:39

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ファンタジーの往還(18)  ロバのゆったりした時間が流れている

 J.R.ヒメーネス「プラテーロとわたし」岩波文庫2001 は、訳者長南実の解説によれば、牧歌とエレジーの間を往き来する散文詩の集成とのことである。作者は1881-1958年の生涯で晩年にノーベル賞を受けたスペインの詩人。副題に「アンダルシアのエレジー 1907-1916」とあるように、父を失った衝撃から病を得て故郷のモゲールの街に戻って静養していた時期に、ロバのプラテーロに語りかける形式で書かれた短いスケッチのような散文詩集である。

 なんといっても特徴は時間がゆったり流れていることだろう。プラテーロの時間感覚に合わせたような語り口である。会話はほとんどなく、怒りや葛藤もほとんどない。モゲールの街と田園の自然描写と、人々の生活の、春に始まり冬のプラテーロの急死に終わる1年間としてまとめられたスケッチ集である。そして、エレジーと名付けられたように、死んでゆく貧しい人や家畜たちが描かれている。

 いくつか引用する。
 19.えんじ色の風景
 ・・・プラテーロの黒い瞳は落日でえんじ色にそまる。かれは洋紅(カーミン)とばら色とすみれ色の水たまりへ、ゆっくり歩いてゆき、鏡の中へやんわり口をしずめる。プラテーロが口をふれたとたん、鏡は液体になったみたいに、血のような濃い色をした水が、その大きなのどの奥深くいっぱい流れ込む。・・・黄昏の描写がそのままロバの動きへ移行している。

 69.こおろぎの歌
 濃紫のさわやかなそよ風が行き来する。夜の花々はすっかり開き、天と地が青く溶けあった野原の、清らに妙なる香りがのづらにただよっている。こおろぎの歌は高まり、夜の闇そのものの声のように、野に満ちあふれる。
 ・・・西欧人は虫の声に関心がないと思っていたが、そうでもないようだった。
 
 81.幼女
 その女の子は安心しきっていたから、プラテーロの腹の下をなんどもくぐったり、かわいらしい足でポンポンけったり、月下香(ナルド)の花のような真っ白い手を、黄いろい大きな歯のずらりと並んだ、あのばら色の驢馬の口へ入れたりした。
 (中略)
 あの子が真っ白な揺りかごに乗って川を下り、死へむかって旅をつづけたあの長い日々に、だれもプラテーロのことを思い出さなかった。でもあの子だけは、うわごとでさびしく呼ぶのだったー「プラテリーリョ・・・」と。
 ・・・いくつかあるエレジーの一つである。

 108.白い雌馬
 (飼い主の)つんぼさん(あだななのだろう)は、その雌馬にもう食い物をやる気がしなくなって、今朝、家畜捨て場に連れていったということだ。・・・今ではすっかり年をとり、ひどくのろまになっていたのだ。目は見えず、耳は聞こえず、ほとんど歩けないほどだった・・・ところが正午ごろ、その馬はまた主人の家の戸口に帰っていたのだ。主人は腹を立てて、・・・草刈り鎌で突き刺した。・・・こどもたちが石ころを投げつけ・・・とうとう馬は地べたに倒れ、息の根をとめられようとした。かすかな憐みの声が、馬の上にかけられたー「静かに死なせてやれよ」・・・
 ・・・家畜のエレジーである。

 ロバはバカで頑固者として擬人化され風刺されることが多いが、作者は断固反対で、ロバとともにゆったりした時間を過ごすことを喜んでいる。無論、実際は父の死と迫ってくる家の破たんや街自体の没落の兆候を見て心が塞がることが多かったと思う。しかし、悲しい現実はエレジーとして描かれ、主調は美しい田園と白い町並みが描写されている。
 ロバは生きて今ある命を楽しんでいるに違いないのだ。人もかくありたい。どうしようもないことに、いらいら不機嫌になるのでない。今日の苦労は今日にて足れりだ。作者もロバの智恵に自身の目線を合わせることで静謐な散文詩を書くことができたのだと思う。
 この一部が児童の読みものとして出版されているという。少し変わった動物物語にもみえる。
 

 
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