斉藤環「小説と分裂 宮沢賢治論」（「文学の精神分析」河出書房新社2009所収）は、聖人伝説とそれへの反発にまといつかれた賢治論に批評の切り口を提案しようとした評論である。著者は1961年生の精神科医。
著者は賢治論が真面目であるほど信仰告白に近付くとみる。たとえば、大澤信亮の第３９回新潮新人賞をうけた評論「宮澤賢治の暴力」は、賢治の生涯を実人生はただのでくのぼうでしかなかったが、ゾルレンの結晶で精神のダイヤモンドとみざるをえない、と。これこそ賢治信仰の告白だと、著者は言う。
著者は賢治を「非現実の王国」で裸の奴隷少女たちによる解放の戦いを描いたアール・ブリュットのヘンリー・ダーガーと対比する。精神障害者であったダーガーは、その表現が症状であり、実存が表現に先行していると評される。聖人とされた賢治の作品も批評を受け付けないことではアール・ブリュットと同じに見られてしまう、とのことである。何しろ、イーハトーヴは非現実の王国だし、その「正しい願い」から得られた作品をどう分析したらよいのか、というわけである。
そこで、著者は、矢幡洋「賢治の心理学 献身と言う病理」彩流社 から、賢治にとって保坂嘉内と妹トシとの関係にみられた、また、ジョバンニとカンパネルラにも描写された「排他的に互いを専有する二者関係」の重要性を参照し、賢治にとっての性愛を批評の切り口にすべきであるとする。
賢治は性愛をめぐる葛藤をいくつか描いている。「ポラーノの広場」では、ロザーロとキュースト。キューストはロザーロを愛していて結婚を勧められたにも関わらず、理由にもならない理由をならべて去ってゆく。
「シグナルとシグナレス」の初々しい愛情関係。「土神と狐」のコンプレックスに苦しむ不機嫌な土神と軽薄才子の狐とカバノキとの三角関係の破たん。「花鳥図譜七月」の賢治ととし子のピクニック。そして結婚した二人「わたくしどもは 1927.6.1」では（とし子）の死によって結婚生活は1年で終わる。「春光呪詛」、「或る農学生の日誌」、「十六日」などなど、「賢治作品における性愛描写は、賢治自身の不安定な禁欲ぶりに対するセルフ・パロディであり、批判的身振り」が認められる。
この見方は確かに面白いが、しかし賢治を聖人としてしまうのは、ただ実体がよく分からない中で、賢治のゾルレンばかりに頼るからでもある。その点、社会主義国であるソ連や中国など、また北朝鮮でさえ理想の国とされていたことと同じ構図ではなかろうか。情報統制、行動の監視や規制のために矛盾が現れず、また深く見ようとしなかったため、社会主義国の宣伝をそのまま鵜呑みにして報道されていた。社会主義は美しく自由主義国はみにくい、というわけであった。今では中国の実態もよく分かる。大胆にも事故車両をカメラに前で埋めるのだから。
賢治に関する伝記的事実が分からないのは今さらどうにもならない。とし子との関係にしても、いつとし子が法華経を受け入れたのか。
とし子が結核に倒れ賢治が花巻に戻ってから死ぬまでの約１年４カ月間、�，修里曚箸鵑匹鯤迷陲芭斗椶靴討い燭里�、�△修譴箸睥梢討里い觴族箸�中心で、死ぬ年の８月くらいから１１月までの４カ月が別宅だったのか、�Ｃ罎鬚箸辰胴圓辰人茲燭蠅靴討い燭里�、実体が分からない。とし子付きの看護婦の回想は� �年譜ととし子の妹の回想は�◆△△觚Φ羲圓廊�、という具合である。
ここを仮説を立てて整合性を見ていくしかない。賢治の詩「わたくしどもは」に一致するのは�，両豺腓任△蹐ΑＥ狙�が恐れられた病人を、別宅があるのに商売をしている実家に置くと言うのは矛盾している。そもそも、賢治を呼び戻したのは、別宅での夜を女のみにするわけにはいかなかったからであろう。
また、賢治の信仰が法華経であって、たくさんある日蓮宗の宗派や信徒団体の中から田中智学の国柱会を選んだのは、当時東京で活動が活発だったので知っていたから、という賢治自身の証言を否定する論拠はないだろう。国粋主義に共鳴したのではない。創価学会でもよかったのだろうが、昭和５年の創立で賢治の家出当時はまだなかった。
賢治は「全的なものを望むという危険な領域」にいたとされるが、その思考・行動様式はロマン派のそれではなかろうか。あこがれの対象が女性ではなく理想の社会だったのが違うところか。
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