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2012年06月08日07:56

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映像の向こう側(42)  過去の自分を抱きしめて

フォト物音に目を覚ましたレンコ(田畑智子)
フォト祭り船が燃えて、両親ともう一人の自分がいるのを見る(向かって左の3人)。
 相米慎二監督「お引越し」1993年(ひこ・田中原作)は、小学6年生11歳の少女の親離れの物語である。京都に住むレンコの両親(中井貴一、桜田淳子)は、妻が働きだしてからうまくいかなくなり別居することとなった。この映画は、レンコが二人を仲直りさせ、自分がその間にいるという関係を取り戻すべく奮闘する夏休みの物語であった。
 まず、家出して見せようと友達に相談するが、むしろ食べ物も用意し一室に立てこもってマスコミも巻き込めと助言される。しかし、これは準備中に母が早く帰ってきて失敗。風呂場に閉じこもるが、母は別居していた父を呼び寄せ、いさかいを始めて、いっそう事態を悪くさせた。
 月一度の3人の夕食会も、よそよそしいものとなり、レンコは去年楽しかった琵琶湖畔の旅を再現しようとして、独断でホテルの予約をし切符も買ってしまう。父が来ていることを知らなかった母は気分を害して、またいさかいの始まるのを見たレンコはホテルを飛び出し町をさまよう。
 町は丁度祭りの最中であった。そこで、とぼけた老人(森秀人)に水をかけられたことで親しくなる。冷たい菓子を息子も好きでね、とすすめられ、息子さんはどこにと聞くと、老人は上を指さす。二階ということではなく天国に、という意味だった。少しひるんだレンコだが、上を見て大きな声で「いただきます」と叫ぶ。
 夜は火祭りとなった。萱だろうか(稲束には早いし)その束を燃やしながら村をめぐってゆく。さらに、山の中をさまよったレンコは神社の下で眠り込んでしまう。物音に目を覚ますと、そこは湖岸で水の中には龍のみこしがはいっていて、そのそばに両親ともう一人のレンコがいる。やがて、みこしに火がつけられると、両親も沖へと去ってゆく。もう一人のレンコは、「置いていかないで」と叫び続ける。
 それを見守っていたレンコは、「おめでとうございます」と叫んで、もう一人のレンコを呼び寄せ、抱きしめる。
 これは重い物語であった。特に、前半、レンコの仲介がことごとく失敗して、いがみ合いが始まるのは見るのがつらくなる。
 その代わり、レンコがさまよう場面はまことに美しい映像であった。大文字焼、墓地の灯篭、そこから京都市内の灯が見える・・・東大谷の墓地だろうか。小川の岸で、ウォーン・・・ウォーン・・・と遠吠するレンコ。「怪獣たちのいるところ」を思い出す。
 そして、もちろんラストの夜の火祭に、夜明けにみる幻想。
 最後の場面はローリングズ「仔鹿物語」(原題イヤリングは一歳仔のことで幼獣と成獣の中間を意味する)のラストを思い出させた。かわいがっていた仔鹿を殺さざるを得なくなって家出したジョディ少年は、仔鹿ともう一人の自分がたわむれながら去って行くのを見送る場面である。
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