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2012年01月16日07:57

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映像の向こう側(9) 腰元たちの戦国時代

 昨日テレビの舞台中継で、泉鏡花原作の「天守物語」を見た。テレビ欄には演出白井晃、篠井英介、平岡雄太、江波杏子ほかとあったが、誰が誰か分からない。さすがに、江波杏子は知っていたが、どこで出ていたのか分からなかった。そもそも、生はもちろん中継でも舞台はほとんど見たことがないので。
 しかし、これはよかった。第一に、映画の場合だと姫路城天守閣の内部をリアルに表現するのだろうが、それと違って背景は鉄の線や大きな布で表現されていて、簡素にして抽象化され、美しく効果的であった。
 物語は、姫路城天守に住みついている魔界の姫と腰元達のもとに、猪苗代湖の亀姫が訪ねてくる様子が前半。亀姫が帰るときに土産に持たせるために幻術で奪った城主の鷹を返してくれるように頼みに来た若い侍との恋物語が後半である。
 腰元や少女たち、さらに亀姫も若い女性が演じていて美しい場面であった。テレビだとアップされるので細かいところが見えてしまう。したがって、主役はいかに化粧してもゴツゴツ感が否めない。つまり、写楽の女形たちのように。(写楽はこれで歌舞伎役者から嫌われたのであろう)舞台だと遠いし暗いしで、夜目遠目傘の内になり、動きで美女を表現しているのだと思うが。
 前半はコミカルにして不気味なのだが、それは亀姫の従者の山伏と舌の長い婆さんと、土産に持ってきた猪苗代の城主で姫路城主の兄弟の生首によっている。この生首は食べるのだそうである。婆さんは歯がないので食べられないとぼやいていた。このあたりは、大阪城落城の様子を記録した腰元の手記「おあむ物語」(だったと思うが)をなぞっているのだろうか。おあむたちは持ち込まれる生首におはぐろをつけてきれいに化粧していたのだそうである。なんでも、慣れてしまって怖くも気味悪くもないのだとのこと。
 よくわからなかったが、後半の戸つながりから見て、この首は亀姫たちが切ったのではなく、たまたま手に入れたものだと思われる。
 腰元たちの踊りは美しく、逆に山伏の動きはコミカルであり、とくに酔っ払って踊らされ、ばたっと倒れるところは秀逸。
 後半は、鷹を奪われたとして切腹を命ぜられそうな若い侍と、ヒロインの姫がたがいに魅かれあうが、武士の道徳に忠実な侍が魔界に住むことを拒む悲恋。さらに、上意討ちにあって天守に逃げて、姫の幻術で追手を惑わすのだが、守り神の獅子頭の目をやりで潰され幻術が破れ盲目になり、今はこれまでの危機においこまれる。ここで、魔界の幻術にしては弱いではないか、と意外の感に打たれた。それに魔界の者たちは、あくまで惑わすだけで殺すことはない平和主義者のようなのだ。この点、原作を読んでいないので、これが鏡花の思想なのか演出なのかは分からなかった。
 結局、機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキナ)である水戸黄門(みたいな人物)に救われてハッピーエンドであった。魔界の描き方が鏡花の思想なら、すこし再考するべきだと思う。これまでは、幻想的唯美主義者だと思っていたから。
 
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