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2011年04月03日21:09

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小説の中の謎(77)  政治と芸術

 石川啄木「東海の小島の磯の白砂に/われ泣きぬれて/蟹とたはむる」は、「一握の砂」の巻頭歌である。新潮文庫版の解説で、山本健吉は東海は日本のこと、小島は当時啄木のいた北海道函館のこと、蟹には何の寓意もなく啄木の代表歌とするに足りない、と切って捨てている。
 啄木は歌集に「一握の砂」や「悲しき玩具」などのいささか貶めた題をつけている。啄木は少なくとも詩人、小説家、できうれば思想家、政治家になりたかったのであろう。歌などは手のひらからこぼれ落ちる砂か子供のおもちゃ程度のものであった、という、啄木のプロファイルからみれば、この歌は何の寓意もない、ということにはならない。
 東海は東海散士を思い出させる。アメリカ独立記念塔で、植民地同様のアジアから来た青年たちが、それぞれ自分の国を自立させるという熱い思いを語り、誓う小説を書いた人である。武士でも志士でも壮士でもなく、砂のように散る散士なのである。
 啄木には散士のように思いを語り合う友はなく、一人蟹とたわむれる他はなかったということだが、この歌の流れ、つまり大景から小さいものへと意識を集中させる手法は、実朝「箱根路をわが越えくれば伊豆の海や沖の小島に波のよるみゆ」を思い出させる。実朝の心は北条氏の支配下において、常に波だっていたのであろう。
 同じく、啄木も大志むなしく蟹のような歌を吐き続けるほかなかった。
 しかし、政治より芸術の方が長い。古来、政治に成功した独裁者たちが芸術パトロンになりたくなるりゆうである。信長、秀吉、家康皆そうである。啄木も、その無政府主義思想などでなく、砂や蟹やおもちゃのような歌で名を残したのだった。
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