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2023年04月19日09:09

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浮世の謎(58) 瀬戸内の町で暮らす

 夕凪である。中国に凪はないのか、日本で作られた漢字である。定家は凪を体験したに違いない。でなければ、「来ぬ人を松帆の浦の夕凪に焼くや藻塩の身も焦がれつつ」という迫真の名歌は生まれなかっただろう。
 凪は神秘的でさえある。何しろ夏の夕方になると、それまでそよいでいた木の葉がピタリと止まるのである。
 最初の内は冷房もなかったので、窓を開けておいてもひたすら熱い。無論、虫よけの網を張ったが。
 虫と言えば、ムカデである。寝ていてもゾロゾロと畳を這う音が聞こえると跳び起きて退治していた。蜘蛛も掌の大きさのが天井に張り付いていたが、これは虫退治をしてくれる同志なので丁重に両手で塞いで外へ連れて行った。

 夜光虫の海である。たいして泳げないのだが、海では浮く力がいらないことを実感できた。ほとんど波もない。で、仰向きにひっくり返っていると、重い頭も海につかるので、ゆらゆら寝られそうな感じがする。何時間そうしていられるか、人の少ないところへ行って試したことがあるが、浜辺の監視員が怒鳴りだした。
 夜も暖かい。平泳ぎで両手を書くと光の波や飛沫が立つ。夜光虫である。幻想的だった。
 ただし、夜光虫は富栄養化して海が汚れているから発生するので、ひどくなると赤潮になる。海が血に染まったようになる。

そして蝙蝠。窓を開けたら蝙蝠が部屋の中へ入ってきた。
そもそも福山の城は海に近い蝙蝠山に建てたのである。それで蝠を福に変えて福山としたわけで。

 瀬戸内の街らしく塩田が多かったようだ。当時はもう使っていないので、広い空き地になっていた。
 晴れた日には四国の山も良く見えたし、夜には明かりも良く見えた。
 福山と四国の多度津の間にフェリーが繋いでいた。何度か四国に遊びに行ったが、単線でディーゼルだった。
 福山の脇の半島の先が観光地になっている鞆の街で、こちらは古代からの瀬戸内海航路の重要な汐待ち港だった。瀬戸内航路の中間点で、潮の流れが逆になる。
 大伴旅人は大宰府に妻とともに赴任したのだが、妻は大宰府で亡くなり帰りは一人になった。
 「吾妹子が見し鞆の浦のむろの木はとこ世にあれど見し人ぞなき」

 隣に尾道がある。私は福山を知らなかったのだが、尾道の名前は知っていた。

 魚が多く、釣りが盛んだったが私は面倒なので。
 日曜日など朝に街に行くと、道路わきでおばさんたちが魚を売っていた。
 思い出は尽きないが・・・・。


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