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2023年04月16日06:33

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浮世の謎(55) 私の田舎町

 30年ほど前、50歳になる前の数年だが、鈴鹿山脈。布引山地の麓の、津市から車で1時間の純農村に住んだことがある。紀伊半島の付け根あたりなのだが、やたら雨が多かった。時々、車にはねられたらしいタヌキが倒れていたが、死んだのか気絶していただけなのか分からなかった。
 日本の都市地帯は、東海道山陽新幹線の沿線であって、4大都市圏がここにあり、その間に県庁所在地を含む中都市が並んでいる。それ以外は地方都市で、私の住む常磐線も田舎町である。水戸市はいかにも最果ての終着駅の感じがする。

 それはさて置き、田舎町である。
 そこは長男には勉強をさせない慣習があるようで、塾の女先生がこぼしていたと、カミさんが言っていた。勉強ができて東京の大学へ行ってしまうと帰ってこない。これでは後継ぎがなくなるので困ると。
 無論男子の生まれない家もある。その場合は、勉強のできる2,3男を養子に取るのである。
 塾の女先生の夫も養子だから、遠慮なく自宅の離れの広間を教室にしていた。
 で、昔そこにいた時に一句作った。「塾の灯の上に増えをり寒の星」
 私の住んでいた家は元の集落に接していたが、そこの奥さんとカミさんが友達になって、その奥さんが街のデパートで買った品物の配達先になってくれと言う。その奥さんも養子をとっていて(何代かの養子をとった女系家族)、姑はいないのだが、自分のおばあちゃんが怖いから。また贅沢すると叱るそうで。
 ということで、自分の娘に厳しい女系の村と言うのを初めてみた。

 朝の6時くらいになると、神社が太鼓を叩くのである。確かに農村の朝は早いわけだが。ただ、朝に目が覚めないのは低血圧のせいだと主張していたかみさんは困っていたが。
 で、その神社だが、村祭りの時に神社へ行って驚いた。いつも閉まっている集会所が開いていたので入ってみたら、ぐるりと壁に沿って、軍服を着た青年の肖像写真が掛けてあった。日清日露戦争以来の戦死者たちだった。
 私の今住んでいる土浦にも神社はあるが、慰霊碑が立っているだけ。無論墓地(共同墓地)には、「・・・上等兵の墓」などが混ざっているのだが。

 村には札付きの泥棒も住んでいた。
 カミさんが近所の奥さんたちと話していたら、若い男がやって来て青い自転車がなくなっていないかと聞いたという。退屈している奥さんたちはその青年に、「ねえ、あなた刑事さんなの」とか、とり囲んだとのことだが、カミさんがうちの自転車は青いけれどちゃんとある・・・え! ない!
 ということで、自動車で津市の警察署へ取りに行くことになった。
 そもそも、自転車を使うのは店も遠いし(万屋はあったが)、使いようがなかった。しかし、泥棒は、近くの家に泥棒へ行くのに使ったのであるが、札付きなのですぐにつかまって、自転車もその場に乗り捨ててあったわけである。田舎の事件だった。

 津市の街並みは海沿いにある。そこに、かって世を騒がせたヤマギシ会の本部があった。
 その売店には無農薬野菜とか鶏卵があったが、注文を受けて配達もしてくれた。かみさんはもっぱらヤマギシ会のお世話になっていたわけである。まだ免許を取ってないし、車は私が通勤に使うので。

 その頃、ポストマン・パットのアニメをテレビでやっていたが、その時のポストマンも配達だけでなく、ポストの代わりに郵便物も持って行ってくれた。なにしろ噂話も限られているので、郵便配達やヤマギシ会の配達員が退屈しのぎだった。

 津市には有名な寺があった。といっても誰も知らないに違いない。高田本山専修寺である。
 ほとんどの人は親鸞の本願寺(江戸初期に一揆にこりごりした幕府が東西二つに分裂させた)は京都にあって、東京にあるのは東本願寺の後継騒動で戦後にできたもので、それ以外の大阪の御堂筋の本願寺は末寺。
 しかし、親鸞の系統は東西本願寺だけではなく、栃木県真岡(もうか)市高田にもあって、それがどういう分けか津市に移転して浄土真宗の高田本山を名乗ったのである。

 私が津市に行った帰りだったが、突然豪雨になって、ワイパーでも前が見えないので道の脇に止めて、収まってから自宅に戻ったことがある。
 その雨で、地元の老人が用水路に流されて行方不明になったとのこと。次の日から地元の 消防団が捜索をはじめた。数日後に下流の方で見つかったとのことだった。

 農村では地元の共同の自助が必要なのだと、つくづく分かった。農村は封建的だ、などと言われていたが、都市のように行政がすべてをやってくれるわけではない。
 無論農村のような人間関係は土浦にもあるし、大都市以外にはどこでも残っているだろう。東京の下町の人間関係も農村のようなものだとの説もあった。

 見上げれば星がきれいなはずだが、その頃は関心がなかったらしい。それだけは残念だったが、十分に農村というものを感じることができたと思う。

 近くに「坂は照る照る 鈴鹿は曇るあいの土山雨が降る」と歌われた天気の変わりやすいところで、一句詠んだ。
 「鈴鹿峯の晴れては曇る竹の秋」竹は春に落ち葉するので「竹の秋」は春の季語。




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