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2023年04月14日21:06

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浮世の謎(54) 歌声運動からフォーク歌手の時代へ

 私の子供の頃はソ連・ロシアの歌を中心とした歌声運動があった。よく聞いたのは「灯」で、作詞イサコフスキー 1942年で、曲はロシア民謡らしいが、
「夜霧のかなたへ 別れを告げ  雄々(おお)しき ますらお  出(いで)て行く
窓辺にまたたく ともしびに  つきせぬ乙女の 愛のかげ」という、第二次大戦のドイツとの戦いに向かう青年と恋人との別れの歌だった。
 それにカチュウーシャの歌
 「1.りんごの花ほころび 川面に霞たち  君なき里にも 春はしのびよりぬ
君なき里にも 春はしのびよりぬ
 2.岸辺に立ちて歌う カチューシャの歌  春風やさしくふき 夢がわくみ空よ
春風やさしくふき 夢がわくみ空よ」
 いずれもソ連の歌である。

 それが、わたしの学生時代からフォーク歌手の時代になったと思う。60年安保も終わって、70年安保は大学紛争で終わった。
 流行った歌は「神田川」であり「夏休み」だったか「姐さん先生もういない。それでも待ってる夏休み」だったかで、要するにノンポリになったのである。

 イタリアのマルクス主義思想家のグラムシは、生産構造(生産積奥の発展)と生産関係(資本家と労働者)の矛盾などと悠長なことを繰り返しているべきではない。上部の生産関係だけで実質的な革命が起こせると主唱した。
 上部構造の生産関係には政府・資本家の宣伝が優勢であるが、労働者側もマスコミを使って宣伝すべきである。ヘゲモニー(主導権)を取るべきだし、新聞記者を味方に付ければとれる、というのである。

 実際、戦後の歌声運動は(労音も労演も)共産党が始めたのだと思うが、一世を風靡したわけだし。
 しかし、意外なことに次のヘゲモニーはシンガー・ソングライターが握った。まあ、60年安保が分水嶺だったのだろう。

 イタリアのデ・シーカの大衆リアリズム映画も、いつまでもヘゲモニーを握り続けることはできなかった。
 フェデリコ・フェリーニ「道」はイタリア・リアリズム路線だったのだが、次の「甘い生活」では上流階級を主題としている。確かに批判的ではあるのだが、ヘゲモニー論から言えば労働者階級のヘゲモニーは終わったのである。次の「8と2/1」はノンポリの私映画である。つまり、イタリアもノンポリの時代になった。
ヘゲモニーが共産党の手に戻ることは永遠にない。

 もっとも、もうひとつのマルクス政党だった社会党の場合は、グラムシが理解できなかったらしいのである。江田書記長が構造改革路線、つまりグラムシとイタリか共産党トリアッチ書記長の提唱になるものだったが、社会党左派の大反対にあって取り下げざるを得なかった。で、社会党は民社党と分裂した。
 結局、鈴木茂三郎の主導した社会党左派は、共産党より頭の固い左派だったわけである。
 結局、ヘゲモニー、古代中国で言えば覇権であり覇王だが、天命を受けて中国を統一した天子・皇帝がいない時には、ヘゲモニーを握った覇王が主導するのだが、日本社会党はマルクスの生産力と生産構造の矛盾が爆発して革命が起きない限り社会主義政権は取れないと思い込んでいたわけである。
 まあ、どちらにしても、実現不可能だったとは思うが。今の立憲民主党を見ていればよく分かる。グラムシもフォークソングの意味も分かっていないのである。

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