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2023年02月28日13:15

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萩尾望都「青のパンドラ 1」を読む

どんどん「ポーの一族」の秘密が明らかにされていく。
しいて言えば「明らかにされる」というより、
70代の萩尾望都の関心が20代から大きく変化していることを反映して、
「ポーの一族」という物語に新しい設定が付け加わっているように見える。

物語は「ユニコーン」の第1話に連なる(広い意味での)現在の話だ。
40年の眠りから目覚めたエドガーは、
「エディス」での火事による大きなダメージを受けている。
両手は黒く(たぶん)変色してしまい、
近寄る者がいれば誰でも襲ってしまいそうになるほど飢えている。
アランはというと、トランクに収まるほどの小さな塊になっているらしい。

そこに登場したバリーがアランを復活させる方法を知っているというので、
どれほどバリーが皆から怖れられ、ポーの村からも追放された嫌われ者だったとしても、
エドガーはバリーとともに行くことを選択する。
そこまでが、「ユニコーン」での話だ。

まず驚いたのは、コートで隠されていたエドガーの肉体が、
まるでミイラのように骨と皮だけだったことだ。
アーサーの屋敷にたどりついた時のエドガーは、もっと干からびていたという。
それは、40年の眠りの表現としては正しいのだろう。
しかし、かつてエドガーは美しい肉体とやわらかな精神を持つ14歳で時間を止め、
永遠かつ完全な存在として「生き」続けてきたのではなかったか。

ファルカとブランカの夫婦は、何度も人間の子どもを奪っては一族に加えるが、
そのたびに子どもは軽くなっていき、やがて消えてしまう。
二人のもとに現れた大老ポーは「成長しようとする力を無理に止め」たからだという。
しかし、ポー(や、その同族)は、永遠の命を持つのではなかったか。
銀の銃弾で撃たれたり、心臓に達するような深手を負ったりしない限り。

大老ポーの描き方も変わった。
かつては、老人の姿で生まれてきたのかと誤解しそうになるほどに不変の存在だった。
(それは、物心がついたころから老人だった遠い親戚を見る子どもの目線に近い。)
この巻では、大老ポーにも若かった時代からの物語が与えられ、
ギリシャ神話に伝承される紀元前2000年から始まる4000年の人生が語られる。
なんと、「不死人」は完成するものであり、
大老ポーは完成するのに100年の歳月が必要であった(から老人の姿をしている)らしい。

しかも、飢えのあまり自分を見失いかけているエドガーを見て、
大老ポーは、ふっと「彼も消えかけているのか」とつぶやいてしまう。
なんということだ。
ポーもまた、いずれ消滅する運命にあり、
子どもであればあるほど、消滅するまでの時間が短いということらしい。

もうエドガーは、大人になることを拒否した、
永遠の少年時代を生き続ける(権利を手に入れた)「憧れの存在」ではない。
現在のエドガーは、自分もまた消える寸前だった存在として、
アーサーのバラ油やバラ水でメンテナンスされながら、やっと生きている。

また、エドガー以上に大老ポーに焦点があてられることで、
どんどん仲間が消えていく中、やがてやってくる自分が消える日のことを考えながら、
自分が作った過去のルールへのこだわりを捨て、
より若い人たちに後を託そうとする老人の物語になっている。

それは、すでに老境に足を踏み入れたリアルタイムの読者にとっても、
おそらくは萩尾自身にとっても、実感のある世界だろう。

確かに、エドガーが大老ポーに会うためにベニスに行ったり、
「影の道」を馬車で走って半日ほどでヨークに戻ったり、
エドガーが「炎の剣」を鍛えたり、「血の神」の青い霧に包まれてアランが復活したり、
という本流の物語は心を躍らせてくれるし、
現実のくびきをのがれて自在に世界が展開していく様は昔ながらの美しいものだ。

しかし、その間に挟まれている大老ポーの言葉や、
イギリスのアーサーとフランスのファルカがノートパソコンで会話している姿に、
40年前とはまったく変わってしまった、
ポーと私たちの「現在」を強く意識させられたのだった。
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