「どうする」に「どうする」が重なって一向宗との戦いに踏みきった家康ですが、
寺との戦の重みを知る家臣団の突き上げを食らいます。
その怒りの中心に居るのが隠居のはずの鳥居忠吉というのもポイントで、
不在の家康に代わり長く三河を守ってきた忠吉の求心力を感じさせます。
案の定、家臣団からも下働きを中心に思いのほか多くの者が寺に走ります。
名のある者ばかりが映るのでわかりにくいのですが、
民が兵でもあるこの時代に、それなりの数の民が寺についてしまえば、
いくら命令する国衆クラスが家康の側にいても苦戦は必至です。
まして、策ならいくらでも出てくる正信が軍師についたとなれば簡単に勝てません。
誰の策なのか、千代は吉良や松平昌久に謀反を働きかけ、
寺の楽しさに心を奪われた忠勝や康政や、
いかにつらそうに戦っていた夏目に離反を促すなど、忍び働きも周到です。
その一方で、呼べば必ず登場するような24時間1人勤務はありえないとして、
忍びじゃないオチのゆるい半蔵コントにしたのはいただけないものの、
結果はともかく、大鼠はちゃんと忍び働きをしているし、
ほとんど何もしてないけど必ず現場にいる半蔵の責任感もなかなかです。
気になったのは、しきりに「あほたわけ」と言っている瀬名です。
わざわざいさかいを起こして家中をバラバラにする家康が許せないのか、
寺のことを本気で「楽しい場所」と思っているだけなのか、
そんな「楽しい場所」を敵にまわす危うさを憂いているのかよくわかりません。
かくして、一向一揆もしくは家康の民との折り合いの結論は持ち越しとなりました。
今川義元との脳内論語談義に加え、義元から贈られた兜で実際に命拾いしたとなれば、
今後も「どうする」が迫られるであろう家康に、
きっぱり「否」と叫ぶ脳内の義元が心の師として家康を導いていくのでしょう。
というわけで、今回の秀逸は、
あくまで出て行けと言われたから出ていき、止められなかったから寺まで行った正信の、
たとえ古傷が痛くても痛くなくても、槍も使えぬ「いかさま師」であっても、
鉄砲を撃つことならできるという時代のアップデートぶりでも、
迷いなく密書を見せる康政、隠し持ったままの忠勝、その場で捨てた夏目の、
それぞれの心の迷いが透けて見えた対応の違いでも、
実は一向宗に通じていた長吉が最後の良心で家康を救ったものの、
かえって家康を疑心暗鬼にした「裏切り者は他の近しいご家臣にも」の遺言でも、
三河や遠江の者からすれば(井伊の者ならなおさらに)、
「どの口が言う」という感想しか出てこないであろう、
義元の「天下の主は民」「我らは民に生かしてもらっておる」という近代的発言が、
「駿府の太守様」の下で成長した家康の脳内だから許されるという微妙な綱渡り。
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