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2022年11月28日07:41

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精神の物語(112) ハイデガーの宗教哲学的側面

 1枚目 ホルバイン「大使たち」1533年 下部の斜めの帯に頭骨がある。メメント・モリのいみとのこと。
 2枚目 禅問答 安泰寺より
 3枚目 フッサールとハイデガー(こちら向き)1921年  松岡正剛の千夜千冊より

 ハイデガー「存在と時間」1927 は「問い」とは何かから始まって、わけが分からなくなると言う感じだった。木田元の解説によれば、人間存在だけが、自身の存在も含めて存在を問うことができるので、上巻で人間存在とは何かを明らかにしてから、下巻で存在論(存在論史)を展開する予定だったが、上巻の実存(人間)論だけに終わって、死に向かって生きる実存の宿命を説く実存主義者と評価されることになった。
 サルトル「存在と無」1943 の場合は、ただの存在は軽蔑されている。名士に成りあがって肖像画に収まるのは恥ずべきことで、内部に持つ無を契機として自由に向かうのが人間存在である。戦後は、政治に参加(投企)して正義に命を懸けるのを理想とした。日本の忠実な弟子が大江健三郎で、四国の森(サルトルに倣って、ただの存在の象徴とされる故郷の人々)での暴動すなわち政治参加を描いてノーベル賞を受賞した。つまり、戦後のサルトルは思想家というより活動家だった。

 で、サルトルが政治活動家ならハイデガーは宗教哲学者ではないかと思った次第である。死に向かって生きる姿は仏教(特に禅宗)そのものではないか。そもそも、「存在と時間」出版以前にも、九鬼周造や三木清が留学している。死に向かって生きる武士道を思わせる人間像は九鬼や三木との会話からのものでないかと思ってしまう。

 ヨーロッパ中世でも、「メメント・モリ 死を忘れるな」は標語のようになっていた。キリスト教の場合、永遠の死は最後の審判によることになっている。仏教の場合は、浄土に行くためには、修行を積んだか、善徳を積んだかが分かれ目になる。
 いずれにせよ、死の問題が宗教の役割だった。むろん、金を積めば悪運から解放されるなどと言う統一教会は宗教ではない。似た例としては免罪符を売っていたローマ教会だが、それでルターのプロテスタントがうまれたのだが、それでもあの世の話で現世での幸運を売っていたのではない。

 哲学用語の存在を日常語で言えば、天然・自然である。天然・自然に髪を見るのが日本の原始宗教の神道だが、他の民族の原始の信仰も同様で、すべてに神を見る汎神論である。ピーナッツのライナスはハロウィンのかぼちゃ畑が大好きなようだが、多分ケルトに淵源する収穫祭ではと思う。キリスト教では万聖節としているが。
 古代ギリシャの思想家は、万物の淵源を火とみるか、水とみるかで論争していたわで、いずれにしろ汎神論の範疇であった。
 それに対して、プラトンは、師匠のソクラテス処刑を受けてアテネから脱出した先で、一神論に触れたらしい。たぶん、エジプトのイクナトーンの太陽神の一神教だとのことだが、プラトンのイデア論発想のもとになった。つまり、人間が存在すると見ているものは、(太陽神の)光に照らされて洞窟の奥壁に映ったイデア(実体)の影(現象)にすぎないと。
 で、木田元によれば、その後のヨーロッパ哲学とキリスト教学が相携えて、イデア(実体)の論証したのが哲学史になり、その流れを変えて、ソクラテス以前のギリシャ自然哲学を基にしたのがニーチェであり、ハイデガーだったとのことである。

 ただし、ハイデガーは若い頃は神学者を目指していたとのことで、無神論的なサルトルと違って禅宗の問答のようになっても不思議ではない。「問い」を重視するのもそのせいに違いない。第一次大戦後のドイツのインフレ目掛けて日本人留学生がたくさん押し掛けたとのことだし。


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