1枚目 表紙絵
2枚目 降霊会 椅子が浮いている カラパイアのブログ
3枚目 ボストン港1849年 ウィキ
著者は覆面作家のようで、本書にもネットにも、どこにも略歴がない。
1.ルイザ・メイ・オールコット(1832-88) 若草物語1868
ウィキによれば、彼女は生涯、生活力皆無の父に代わって家族を支えるという強烈な決意と義務感を抱いており(「若草物語」にも描かれていた)、若い頃から家計のために働きながら、執筆の仕事を試み続け、多数の「流血と暴力の物語blood and thunder」を書いていた。この事実は20世紀半ばまでほとんど知られていなかった。
裕福な家庭の娘の介護人兼付き添いとしてヨーロッパ旅行に同行し、イギリス、ベルギー、ドイツ、オランダ、スイス、フランスを回った。初の海外旅行で、少女時代に本で読んだ場所を見て回った。
作家として成功したオルコットは一家の稼ぎ頭として家族を支え、『若草物語』の印税で家の借金を返し、両親の面倒を見、夫を亡くした姉アンナの家族を支え、妹メイのヨーロッパ絵画留学の費用を捻出し、メイ亡き後は残された姪のルイザ(ルイザの名をもらった、愛称ルル)を引き取って育てた。
1862年〜1863年に看護師として働き、ワシントンの軍病院から母や妹たちに送った手紙は、ボストンの奴隷制反対紙「コモンウェルス」に、『病院のスケッチ』として出版され(1863年)て、これを見た出版社がルイザに少女小説を依頼した。
2.言うまでもなく本書は、ルイザ・メイ・オールコット「四人の少女、若草物語」のパスティーシュである。ボストンで小説家を目指すルイザは、事件に巻き込まれ、それが小説の材料になるとして積極的に事件の真相を追って、できたばかりのボストン警察のコバン巡査に迷惑がられている。
時は、1855年12月で、裕福な親友のシルヴィアの紹介で、水晶占い師(アガサ・Ⅾ・パーシー夫人)の降霊会に招かれたが、その占い師が殺害されたことで事件に巻き込まれる。しかし、推理小説の部分は割愛して、当時のボストンの社会状況と、ルイザの作家修行(マクリーンによる作家としてのオルコット論でもある)、それに若草物語で一家の天使だったルイザの妹で三女のエリザベス(若草物語ではベスと呼ばれていたが、本書ではリジー)の暮らしぶりを中心に読んでいく。
3.当時のボストン社会の風俗
格差社会
上流階級と下層階級の生活区域がはっきり分かれていたので、ルイザとシルヴィアの殺人捜査活動は、小銭をねだる子供たちに付きまとわれた。
儒教を勉強したことのあるシルヴィアは、「教えざる民をもって戦う。これを捨てるという。」とルイザに語る。
★海風注:偶然の一致だが、プーチンは訓練せずに招集した兵を前線に行かせて、犬死させているとのこと。
当時、上流の有閑マダムが集まってのカード・ゲーム(ブリッジなどのトランプだろうと思う)は後ろめたいものがあった。
上流階級の家柄だが没落したアメリア・スノッドグラスはいつも同じ制服のような服を着ている。
しかし、上流階級の男性と結婚することになって、ルイザに「新婚旅行はヴェネチアに行きます。あなたに海外旅行は無理でしょうね。」などという。
もっとも、この後、現実のルイザは上流階級の女性のお付きになって、1年間のヨーロッパ旅行をすることになる。このときローリー・ローレンスのモデルとなる青年に出合ったとの説もある。
★海風注:要するに南北戦争以前(日本の明治維新以前)のアメリカは、まだ先進国とは自他ともに認めていなかったわけである。歴史的な文化がないわけで。
さらに、第二次大戦後、アメリカへ旅行したサルトルとボーボワールは、アメリカのビル街を、映画のセットに見えたと書いていた。
シルヴィアはコモン(共有地)の池の近くで転んで張り骨を曲げてしまい、見栄えが悪くなった。
★海風注:表紙絵はルイザだが、スカートには張り骨(クリノリン)が入っている。確かにこれが曲がると困るだろう。時間的に後の南北戦争直前の「風と共に去りぬ」のスカーレットがウエストを締め付けて、クリノリンのドレス姿だった。
このファッションを過去のものにしたのがジャポニスムとの説がある。マダム貞奴がパリ万博の頃、オッペケペ節の川上音二郎とアメリカやフランスを巡業し、パリで和服で踊って見せて驚かせたとのこと。それでクリノリンがなくなりしぜんな着流しのワンピースになったとのこと。
2.オカルトの流行
水晶占い師の降霊会には信頼できる裏方のメイドが必要だった。一人でオカルト現象を取り仕切るのである。霊媒の言葉に霊が肯定を示す音、霊の入って来る物音、幽体の出現など。
例えば、
霊媒のパーシー夫人が男の声で叫ぶ。「シルヴィア シルヴィア わが娘」
ああ、男性の霊がサマーランドから降りてきました!
シリヴィア: お父様?
軽く素早い二度の叩音(肯定の意味)
パーシー夫人: シルヴィアに「質問をどうぞ」
シルヴィア:「どうすればあなたの意にかないますか」
霊媒が石板に書き付けた「結婚しろ」
パーシー夫人はいよいよ興奮して、咳やくしゃみをした。
:「あわてて結婚すれば後悔する。身分不相応な結婚をすれば不幸になる。だが、良縁を得れば末永く幸せに暮らせるだろう。誰にも分かりはしない。」
★海風注:これならどれかに当たる。
パーシー夫人は、ルイザに向かって
:名前を告げない者が、「もうすぐ着くわ」と言ってきた。・・・来客の予定がありますか?
ルイザには心当たりがなかった。
また、別の霊媒もいた。
オコーナー夫人 料理人で霊媒
オコーナー夫人の呼び寄せた霊の言うことは正しかった。
マーミーの母親の霊はなくなったブローチはベンジャミン伯父の家で見つかった。
★海風注:ウィキによれば、心霊主義(スピリチュアリズム)という言葉は、19世紀半ばにアメリカで始まったものを指すことが多い。フィニアス・テイラー・バーナム(1810-91)が初めて降霊会を興行し、心霊主義の爆発的ブームの端緒となったとのこと。
晩年のコナン・ドイルも心霊主義にはまったとのこと。
作者も超能力の存在をすべて否定しているわけではない。
3.ルイザの執筆活動
流血と暴力の物語blood and thunder
ハーレクイン・シリーズとかシルエット・ロマンスといわれて一時期日本で流行った小説のようなものではなかろうか? 歌の「シルエット・ロマンス」はその宣伝の歌とのこと。
むろん、元々は中世ヨーロッパの道化師ハーレクインと女中のコロンビーナの恋物語の芝居であった。人形芝居とか、影絵にもなったようでシルエット・ロマンスの命名の根拠だと思う。
当時ルイザの書いていた小説の材料やキャラクターにパーシー夫人の降霊会が使えることが分かった。
頭の中で、アガサが話しかけてきた(パーシー夫人と同名のヒロインが降臨したのである)。
自分を大切にしてくれる人がいると分かると・・・なるほど、新作は恋愛小説だ。
漫画で言う、キャラが立った状態なのだと思う。
アガサ・パーシー夫人の芝居気たっぷりなやりかたには感心した。降霊会での話は情報収集活動の成果だろう。わたしへの不意の来客の予言は、はずれても大したことはない。
下宿に帰ると、階段の上から「ああ、ルーイ、会えてうれしいわ!」
「いとこのイライザがわたしのためにパーティを開くと言うから逃げて来た」という。
ルイザは、パーシー夫人は誰か親戚から聞いたのでないかと、いろいろ問い合わせているが、結局は分からなかった。
4.ルイザの捜査活動
フィニアス・テイラー・バーナム氏((1810-91、実在の世界的興行師だが、今は破産状態)とルイザはパーシー夫人の仕掛けを暴いていく。
仕掛けを動かすのはスージーの役目だと意見が一致した。
また、鍵を使って密室を作る方法はバーナム氏の専門だった。
実在のバーナム氏は、霊と交信できるというフォックス姉妹の興行を担当し、心霊主義の爆発的ブームの端緒となったとのこと。
できたばかりのボストン警察のコバン巡査は、パーシー夫人のメイド(兼、トリックの助手)が事件発覚後逃亡したが、少しもあわてなかった。
行き所のない(実家に帰れない)住み込みのメイドはボストンの港にやって来ると。当時のボストン港は、船員で賑わっていたが、同時に売春宿もあり、仕事な何でもあった。当然、上流階級の娘の行くところではない(ルイザは貧乏ではあるが、母方は名門で、豊かなベンジャミン伯父も母方。父は貧農の出だが独学で学者となり、思想家ジェファーソンとも友人のボストンの有名人だった)。
★海風注:警官のコバンは巡査とされていて、実際に町を巡回して犯罪防止活動をしている。本書では刑事と同じ捜査をしているのだが、まだ刑事部門が独立していなかったようだ。
ルイザにピンカートン探偵社がクリーヴランドからパーシー夫人の義弟の詐欺師の令状をもって逮捕に来る、と教えた。
★海風注: 詐欺にかかった人が警察でなく、より信頼できる民間の探偵社に捜索を頼むと言うのはあり得るが、令状というのが変でないか?
アメリカで(ギャングから)アンタッチャブルと言われたFBIができたのは禁酒法時代で、20世紀初頭。
ボストンの図書館は学校の古い図書館に間借りしていた。
ニューヨークの新聞のバックナンバーを過去一か月分を全部と言って、係員から嫌な顔をされたとの事。
★海風:まとめ
ボストンの南北戦争前の社会状況が描かれていて興味深かった。
内容で言えば、「若草物語」では心優しい模範生だったベスが、リジーとしてケーキに目がなく、姉のルーイよりも機転の利く積極的な女性に描かれているのがよかった。パスティーシュは必ずしも原作に忠実なわけではない。
ちなみにルーイはルイザが男の名前として通用するからと、そう呼ばせていたのだろう。「若草物語」ではジョセフインなので、ジョーと呼ばせていたが、現実にはルーイだったわけだ。
ところで、別のルイザの評伝では、少女小説を依頼された時に、自分は少年のことなら何でも知っている。少女でなく少年小説でどうかと言ったのだが、出版社が曲げなかったので仕方なく「若草物語」にしたとのことだった。
確かに、医者に見せるのが遅かったために、三女のベス(リジー)は苦しんで死んだとのこと。思い出したくないことも多かったに違いない。本書で、リジーがルーイのもとに逃げて来たのは、もしそれが現実だったら死ななくて済んだかもしれなかった。
なお、現実のバーナム氏はサーカス団を創設し、「地上最大のショウ」を興行して大成功した人物。後にリング・リングサーカスと合併したとのこと。
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