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2021年11月19日16:29

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萩尾望都「秘密の花園」2巻を読む

今から50年前、まだ20代の萩尾望都が「ポーの一族」を描いた時、
世をはかなんだアランは、エドガーの「一人ではさびしぎる」の言葉に導かれるように、
ふうわりとポーの一族になった。

今、十分に大人になった萩尾望都は、エドガーが独断で一族に加えたアランのことを、
正式の手続きを踏まなかった見捨ててよいポー(とポーの村では思っている)と描く。
つまり、「人間をやめて」ポーとなるにも大人の事情がつきまとうということだ。

50年前から「ポーの一族」を読んできた私たちは、
アーサー・クエントン卿がエドガーをモデルにした「ランプトン」数枚を残して消え、
実は21世紀の今もポーの一員として、エドガーらの後見役をしていることを知っている。

なので、アーサーがエドガーをモデルに「ランプトン」を描いているとなると、
この後、アーサーがポーの一族に加わる物語になるのだろうということはわかっていた。
(たとえアランが「眠りの時季」に入り庭の片隅にある東屋の一室で眠り続けていても)

しかし、あれだけシルバーからクギを刺されてしまうと、
エドガーも思い付きでアーサーをポーに加えるようなわけにはいかない。
そして、ポーの一族に迎えるための手続が煩雑になるということは、
アーサーの側でも人間をやめる決意をきちんとしなければならないということだ。

かくして、萩尾望都は「残酷な神が支配する」を思い起こさせるような試練を
次々とアーサーに課す。

絶望にとらわれる中、唯一の希望として愛したダイアナが自分をだましていたこと、
パトリシアの一生をかけた大切な手紙がちょっとした悪意で届かなかったこと、
アーサー自身も結核が悪化し療養所暮らしをしなければならなくなったこと、
療養所の誠実な看護師が実は父が母に隠して持っていたもう一つの家庭の娘で(義妹か)、
その強い職業意識が同じ看護師であった(もう一つの家庭の)母親ゆずりであったこと。

しかし、ポーであることを選択するには、絶望のさなかにあるだけではダメだ。
心底「生きることに興味がない」と死を受け容れてしまう。
絶望の隙間から見えるほんのうっすらとした希望が、
「怪物」になってでも生きることにつながる。

なるほど、本来、ポーの一族に加わるためには、
これほどに面倒くさく丁寧な手続きが必要なものだったのだ。
シルバーが瀕死のアーサーを密かに教会に運び、
紹介者とでも言うべきエドガーとポーの村の村長・クロエが立ち会う中、
アーサーはポーとして「生きる」ことを選択する。

それにしても、ポーにとって犬や羊は不味く、人間が美味であったとは。
ポーは人間の(血ではなく)エナジー(生命)を吸う者であるという設定に対して、
当然おこるであろう、血であれエナジーであれ、
なぜ「食う」のは人間だけなのかという問いに萩尾望都は明確に答えてくれた。
ここへきて、新しくかつ理のかなった設定が加わるのも楽しい。

そして、2000年のオービン!
いつも言っているが、エドガーらを追い続けて年齢を重ねたオービンは、
「ポーの一族」を読み続けて年齢を重ねた私たちの姿でもある。

「エドガーに会いましたか」と問うオービンに、
アーサーが「会いたいですね」と返したのもまんざら嘘ではない。
この時、エドガーは40年の眠りの中にあった。

2000年当時なら、私たちもエドガーに会いたいと切望していたはずだ。
2021年の今、もうオービンは生きていないだろう。
こうしてエドガーに会うことのできる私たちは、たぶん幸福なのだ。
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