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2021年07月20日11:14

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ますむらひろし「銀河鉄道の夜 四次稿編」2巻を読む

35年ぶりかつ前作の4倍のページ数で描かれた、
ますむら版「銀河鉄道の夜」の第2巻である。

ページを開くと、もうジョバンニは銀河鉄道に乗っている。
気がつくと、先頭側の隣の席には窓の外を眺めているカンパネルラの姿もあった。
カンパネルラの表情は、最初は苦しみや悲しみめいたものがあったように見えたが、
少しずつだが本来の子どもらしさを取り戻していく。

カンパネルラが天体図のような黒曜石の路線図に目をやると、
パアーッと路線図のアップになり、カラーになる。
「停車場や三角標、泉水や森が青や橙や緑やうつくしい光でちりばめられておりました」
と宮沢賢治が表現したとおりの地図が、ページ上に鮮やかに再現される。

窓の外の草原のあちこちで輝きながら立つ燐光の三角標、
銀河の中に立つ目もさめるような白い十字架、
中で小さな火が燃えている水晶の砂と黄玉や鋼玉の礫でできた海岸、
鳥捕りの前に桔梗いろの空から雪が降るように舞い降りてくる鷺たち、
アルビレオ観測所の屋根の青宝玉と黄玉の大きな球が回転する姿などなど、
ここぞという場面でカラーページに変わるのが嬉しい。
それは、モノクロで描かれている、
どうかすると重苦しい車内の描写と好対照にもなっている。

カラーの話ばかりしていてはいけない。
版が大きいこともあって、猫というか登場人物たちの描写がずいぶん違う。
一言でいうと、毛深い。
35年前の「銀河鉄道の夜」では、少年マンガ的な勢いのある線の省略した描写だったが、
今回のシリーズはデビュー当時の「ガロ」の頃に近い細い線で緻密な描写になっている。

あとがきではグチめいた書きぶりになっているが、
宮沢賢治が「野原に千も並んでる」と書いた三角標を、
三角測量の櫓を参考にしたせいで、えらく複雑な構造のものが大量に並べていたり、
背景についても趣向を凝らすので、相当に苦労しながら描いている。

物語は、ジョバンニの切符を見た鳥捕りが、
「どこまでも勝手にあるける通行券です」と驚いたところで3巻に続く。
1983年版のp35からp64までの30ページ分が描かれたこととなる。

第1巻で予告されていた「銀河鉄道=ロングシート」説だが、
改めてあとがきで丹念に検証されていく。

カンパネルラの登場場面に「前の席」とあるので、ついボックスシートと思いがちだが、
それだと、後に続く窓の外を眺めるカンパネルラの姿に気づいたときの、
ジョバンニの「肩のあたりがどうも見たことがあるような」という独白に無理が出る。
ますむらが回想しているとおり、
1983年版のカンパネルラは、向かい合わせの席なのに顔がわからぬよう、
中腰になりながら、なおかつ不自然に身体を後ろ向きにひねっている。

逆に、ボックスシートの証拠はないものかと「肘掛け」の描写を探したがみつからず、
後半、列車が急勾配を降りる場面では乗客が「座席にしがみつく」とあるので、
むしろ「ロングシートならでは」の描写がなされているとする。

そこから発展させて、軽便鉄道の小さな車室のことを「棺ではないのか」と気づき、
白鳥の駅の改札口の先に降りた人の姿が見えない奇妙な怖さを指摘すると、
ますむらは、そのがらんとした部屋に下がる電灯の色の紫から火葬場をイメージする。
確かに、今回のマンガの白鳥の駅は、火葬場を感じさせるような描写になっている。

そして、今回の白眉は「どこまでもいける」ジョパンニの切符の描写だ。
「創作なればこそ許された/マンガなればこそ描かざるを得なかった」のだが、
この「読めない文字」が書かれているとされる切符を、
ますむらは、西欧が舞台であるという物語の設定から日本語であると判断し、
第三稿までは「天の川で、たったひとつのほんとう」と描写されていたことから、
宮沢賢治が帰依していた法華経の「南無妙法蓮華経」の題目を描いた。

なるほど、そういう解答もあったか。
マンガとして感動するというレベルをはるかに超えて、
研究として感心させられることの多い「銀河鉄道の夜」なのであった。
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