実は、前回のラストはフリで、覚醒した光秀が何かを言うと期待していたのですが、
相変わらずタテマエにこだわるばかりで、まったく進歩のない光秀でした。
明智家が美濃を出てから11年、信長は美濃平定までやってのけたのに、
歴史の水面下で息をひそめる光秀は、まだ土岐源氏の血が流れるだけのフリーターです。
光秀の母・牧が一人だけ明智荘に帰ったのは、中の人の事情もあったのでしょうか。
光秀は「美濃は母上が生まれ育った地」といいますが、それは光秀や煕子とて同じです。
本心は美濃に帰りたい煕子ですが、光秀に帰る気がないことを察して、
「子どもたちにはここがふるさと」と言い直しますが、理由としては苦しいところです。
明智荘にも新しい領主がいたはずです。
牧一人なら大目に見てもらえたのかもしれませんが、禄の出どころもわかりません。
出家をしていたなら、このあたりも無理なく描くことができたのに、と思い至り、
そういう意味では、出家というシステムはよく出来ていると改めて感じました。
母を送った足で信長のもとを訪れる光秀ですが、
史実の縛りもあって、せっかくの信長のスカウトを拒否してしまいします。
すでに亡くなっている足利義輝に仕えたかったことを理由にするのも無理筋で、
しかし、この室町幕府への偏執的なこだわりが後々の伏線になるのかもしれません。
にもかかわらず、というか何の立場で進言しているのか、
次に何をすればよいという信長に、光秀は将軍を奉じての上洛を勧めます。
自尊感情が踏みにじられ「ほめられたい」一心から「戦が嫌いではない」信長と、
「幕府を再興し将軍を軸とした平らかな世」にこだわる光秀の利害がなぜか一致します。
それにしても、はっきり帰蝶について問うた光秀に、
「子育て」を名目として不在だと信長が言い切ってしまったのも気がかりです。
信長は、あれほど有能なプロデューサーだった帰蝶を必要としなくなったのでしょうか。
一方、蝶の羽を運ぶ蟻を自分と重ねる義昭が、異色ですが魅力的です。
信長目線だと将軍として表舞台に出てからのダメダメぶりで見てしまいますが、
「物心ついたころから寺にいる」義昭が将軍になったことを考えるなら、
「一匹で意地をはっていてはダメ」「将軍になれば人を救えるかもしれない」
と言い出すのも納得です。
カメラをデモ隊側に置くか、警官隊側に置くかで景色は違ってくるのでしょう。
無理に無理を重ねつつも、今までにない景色を見せてもらっていることも確かです。
というわけで、今回の秀逸は、
ヒゲを生やすだけで(しかも痩せた?)妙に「らしく」なった信長でも、
再び髪型を変えて大人っぽくなり「おばさん」認定された駒がようやく気づいたらしい、
伊呂波太夫もたしなめていた価値あるもので稼ぐのは当たり前であることでも、
惜しいところまで行きながら、上洛よりも阿君丸が気になる義景の残念ぶりでもなく、
馬に乗って明智荘に凱旋すると、歓迎する明智荘の者たちが舞い踊る中に自然に入り、
そこが定位置であるかのように中心で満面の笑みで舞い続ける石川さゆりの座長芝居。
ログインしてコメントを確認・投稿する