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2019年11月23日15:00

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木皿泉「ぱくりぱくられし」を読む

紀伊國屋書店のPR誌「scripta」に2012年から19年にかけて連載された
夫婦脚本家・木皿泉の二人による対話「ぱくりぱくられし」と、
産経新聞夕刊に2018年の半年間、週1で連載されたエッセイ「嘘のない青い空」に、
後に木皿泉の出力担当となる妻鹿年季子が、
NHK名古屋放送局の昭和62年度創作ラジオドラマ脚本コンクールで入選をはたした
「ラジオドラマ け・へら・へら」が載せられている。
「なぜ、この取り合わせ」とも思ったが、あとがきで謎が解けた。

まず、対話「ぱくりぱくられし」だが、
表題は、テレビ草創期に一世を風靡した劇作家・花登筺による
暴露本に近い自叙伝「私の裏切り裏切られ史」からきている。

各対話の冒頭には、木皿泉の(主に)脚本から数行の抜き書きが置かれており、
それに関して二人で対話するという形式だ。
抜き書きした言葉に直接触れることもあるが、
そこから連想される思いや、時に創作の秘密めいたものも語られる。

対話全体を通して、たった一つのセリフを生み出すだけでも、
自分たちが体験したことをヒントにしたり、
あれこれ考え抜いた末にようやくひねり出したものを手がかりにしつつ、
そこに、二人の話し合いや試行錯誤を積み重ねて
やっと形になるものであることを十分に示したうえで、
最後に、「ぱくりぱくられ」と題される対話が置かれる。
冒頭の抜き書きも、語られる話題も、
妻鹿年季子のラジオドラマ「ぼくのスカート」とそれをめぐる問題だ。

「ぼくのスカート」が発表された直後、
「話の構成から小道具、セリフに至るまで」類似したドラマが作成された。
妻鹿は、翻案(ぱくり)作品であるとして訴え
(後に夫となる弥生犬こと和泉努も、それを支援し)たものの敗訴した。
「一方の作品に接したとき他方の作品を思い浮かべうる」
ほど似ていることについては認定されたが、
その程度の類似なら翻案とまでは言えず、裁判では勝てないということらしい。

つまり、これまでの対話は、ここに収束させるための長い序章だったわけで、
あれほどの生みの苦しみを経てひねり出した言葉たちが、
「偶然に」似るはずがないという確信が木皿泉の中に頑としてあり、
その確信が持てる理由や状況を、木皿泉の立場表明として、
きちんと著作として残したかったということなのだろう。

「嘘のない青空」について木皿泉自身は、
「信頼していた複数の人たちに裏切られていたことを知って、
少々暗い気持ちの頃だった」と書いている。
確かに、自分の生きづらさのようなことも書かれているが、
木皿泉らしい日常生活の中に埋もれそうになっているちょっとしたひっかかりを、
丁寧に拾い上げ、その意味を問い直すような文章が多い。

「け・へら・へら」は妻鹿年季子の原点であり、
もやもやとした生きづらさに対して堂々と正面突破を試みるあたりは、
現在の木皿泉にも通じている。
「ぼくのスカート」も、こんな語り口だったのだろうか。

そして、やはり着目すべきは、
対話の中で引用されている古今の書籍類の豊富さと引用の的確さだ。
むろん、仕上がった原稿のように、
自然な対話の中でなめらかに語られているわけではないだろうが、
「ええーっと、その話だったら、この人が言ってる話が面白くて、
確かこの本に書いていたはずで、あ、そうそう、ここのこの言葉が…」
という中断が仮にあったとしても、
思いも寄らぬところから、その場に最も適した言葉を選んでくれる。

これもまた、夫婦作家・木皿泉の真骨頂であり、
入力担当の「弥生犬」氏の仕事の片りんがうかがわれるところだ。

余談だが、札幌の丸善ジュンク堂で購入したのだが、サイン本だった。
木皿泉が札幌まで来たという話も聞かないし、サイン本として仕入れたのだろうか。
ジュンク堂が神戸系なので縁があったのか、版元の紀伊國屋書店が頑張ったのか。
そのあたりの真相について詮索しても仕方ないし、
確実に言えるのは、木皿泉が一番頑張ったということだ。
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