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2019年09月30日21:02

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いだてん第37回「最後の晩餐」を見る

どんどんイヤな時代に入っていく「いだてん」です。

実は、嘉納治五郎ら実在の人物については、
ドラマでのキャラクターと史実の人物像とは相当にズレがあるのだろうと思っています。

記録に残っているものは変えられないけれど、
記録に残っているとおりの人物にするとドラマのテーマにそぐわなくなってしまう。
なので、史実を変えない程度にドラマで補足し、脚色しなきゃならない。
そのあたりが脚本家の技であり、ドラマの見所でもあり、
記録に残っているものが多い近代大河の難しさでもあるのだろうと考えています。

たとえば、「いだてん」の初期でも、ストックホルムに出発する際の四三の言葉は、
朴訥なマラソン馬鹿キャラに似合わないため、記者が誘導したことにしていました。
だんだん日本が窮屈な国になり、戦争に向かっていった時には、
当時の庶民を代表して、たけしの志ん生が自戒を込めつつコメントをつけていました。

先週の嘉納治五郎のオリンピックで国威発揚をめざすような発言や
嘉納が組織委員会に軍を入れたというのも史実なのでしょう。
その裏側で副島や河野と田畑を会話をさせる(史実としては記録がない)場面を置き、
否定的な評価をした上で、治五郎先生の衰えに置き換えるのがドラマの技です。

さて、やっと招致した東京オリンピックですが、
日中戦争が始まり、次々と若者が(万歳とともに)出征するような時代になり、
組織委員会が迷走して競技場すら決定できないようでは
河野でなくとも返上論が出てこようというものです。
ロスでは煩悩のかたまりだった「こいけこいけ」も、
従兄弟が出征したとあっては練習に身が入りません。

そこに(なぜか朝日新聞社に)飛び込んできたのが四三です。
突然、はしごを外されてオリンピックが中止になることが選手にとっては一番つらい。
四三こそが、オリンピック中止の最もわかりやすい被害者だったのでした。

四三の意を自分なりに解釈した田畑は、治五郎先生にオリンピック返上を進言します。
「後ろ向きなことは言わんのじゃなかったのか」と治五郎先生に問いつめられて、
田畑は「(今、返上すれば)もう一度、オリンピックを招致できる」と言い切ります。

ここ、すごい大事なとこです。
田畑は、この一連の流れで、
選手のためのオリンピックというバトンを四三から受け取るとともに、
まだ譲る気はなかったかもしれない治五郎先生からも、
将来の東京オリンピックの実現というバトンを勝手に引き継ぎました。
(それは、動き続けているストップウォッチで治五郎先生から追認されます。)

くしくも、治五郎先生の夢だった1940年の東京オリンピックで折り返すなら、
四三が無念の思いをした1916年ベルリンオリンピックから24年の先に、
あるいは、治五郎先生が他界した1938年で折り返すなら、
四三らが初参加した1912年のアントワープオリンピックから26年の先に、
前向きだから返上すると田畑が言い切った1964年東京オリンピックがあるのです。

というわけで、今回の秀逸は、
四三の熱い言葉を受けたためか、いつもの田畑調ではない
「矛盾じゃない」からじっくりとうなずきをはさんでの「いや、矛盾だ」でも、
田畑の「今の日本は、あなたが世界に見せたい日本ですか」の言葉を受けたかのような、
あちこちで見るようになった軍人とそこここに掲げられるようになった日章旗でもなく、
平和の祭典としてのオリンピックを夢見続けた嘉納治五郎を象徴するとともに、
それまで妙に目立っていた日の丸ばかりの画面を否定するかのような、
ゆっくりふんわりと五輪旗に包まれた嘉納治五郎の棺(史実)。
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