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2019年09月09日16:07

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いだてん第34回「226」を見る

先週、私たちはうっかり力に頼ってしまうと信頼を失うことを学びました。
そして、信頼を失った者は、たとえどんなに強い力で相手を屈服させたとしても、
課題を解決できないどころか、交渉相手としても不適格者扱いされてしまいました。

そんなことを踏まえて、226事件が描かれます。
「天誅」「昭和維新」と口にして高橋是清ら政府の要人を殺害した軍人たちは、
朝日新聞社を占拠すると、それらが何の価値もないものであるかのように、
備品を放りだし書類を踏みつけにします。

その中には、あのロサンゼルス・オリンピックの記念写真も含まれています。
それは、私たちが「いだてん」をとおして見続けてきた、
スポーツの黎明期からオリンピックで日本人選手が大活躍するまで至った歴史を
平気で踏みにじっていることに軍人たちは気づきません。

むろん、オリンピックの記録写真だけが貴重なのではありません。
そこにある書類・備品の一つ一つにそれぞれの物語があり、
言うまでもなく、その場いる一人ひとりに命があり、家族があり、歴史があります。

「天誅」「昭和維新」といった格好のいい言葉を頭の中だけでもてあそんでいると、
そうした社会の現実が見えなくなってしまうのでしょう。
そのことを指摘し、軍人たちを少しは我に返らせたのが、
緒方の「ここには、社員はもちろん、女、子どももいる。」であったのだと思います。

クーデターは数日で鎮圧されますが、その後も戒厳令が敷かれます。
田畑に銃を向けた兵の一人はまだ幼い顔で、
上官に言われるまま、国民に銃を向けることにとまどっているようにも見えます。

にもかかわらず、「こんな時だからこそ、オリンピック」。
治五郎先生は、盤石です。
といっても、困難な時勢に圧倒され、考えることをやめたのではありません。
こんな時でも、目標に向けて最大限の努力をするという意志を貫いているのです。

まずは、来日したラトゥールを全力で接待します。
治五郎先生にとっては、全力が自然体だったのでしょう。

ラトゥールが心を開いたところで全力の謝罪をします。
政治の力に頼った理由を、けっして紀元2600年という日本の都合ではなく、
自分が老いてしまったために焦ったのだ、と罪を自分の方に引き寄せてしまいます。

「目黒のさんま」さながらで、お決まりのコースを外れた路地裏の子どもたちの姿に、
ラトゥールも日本という国に対する信頼を回復したようです。

というわけで、今回の秀逸は、
新聞・ラジオが沈黙すると何が起きたのかも知ることができない孝蔵ら庶民の生活でも
まーちゃんのことを理解しすぎている菊枝の丁寧な「吸い殻がえし」の技でも、
車を引くのは久しぶりで、引き際の年齢になっていても裏道を覚えている清さんでも、
六人目の子を宿すスヤを4年も東京にいくというワガママを許していること自体が
大きな深い母の愛であることに気づかぬ四三に対する幾江の啖呵でもなく、
回想シーンばかりで気づかされる、
萩原健一の命が間に合わなかった高橋是清のもう一つの見せ場と、
なんとか間に合って撮影できた田畑との面会シーンでの死力を尽くした演技。
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