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2019年09月05日10:40

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北海道博物館「アイヌ語地名と北海道」を見る

北海道博物館の「アイヌ地名と北海道」に行った。
いきなり、アシリパさんがお出迎えしてくれて嬉しい。
北海道観光振興機構が主催している「ゴールデンカムイスタンプラリー」の
チェックポイントになっているのだ。

まずは、松前藩領としての分間絵図や郷帳など、ほとんど読めない。
続いて、伊能忠敬や近藤重蔵といった教科書に出てくる人たちによる貴重な地図が並ぶ。
ただし、巨大な絵図に大量の地名がカタカナで書き留められていて、
こちらが北海道の地理に疎いこともあって、目で追うのがやっとだ。

とはいえ、当たり前のように、国宝・重要文化財と書いてある貴重なものばかり。
伊能図の継ぎ目の見当として丁寧に描かれた方位図(の半分)が妙に美しかった。

他にも、
秦檍丸(別名・村上島之允、近藤重蔵らと蝦夷地に入り、10年間在住し記録を残した)、
今井八九郎(松前藩士として、10年かけて蝦夷地全域を測量した実測地図を残した)、
菅江真澄(尾張藩を出奔し全国を旅行し蝦夷地を含め、大量のスケッチと日記を残した)、
加賀屋伝蔵(「場所」で下働きをしながらアイヌ語を習得、通詞となり辞書を残した)
といった初めて名を聞く人たちによる地図や聞き書き、辞書などが展示されている。

ここまでは、アイヌ民族が伝えてきた地名を音で残した松浦武四郎以前の基礎資料だ。
ところが、この地名は和人の入植によって、(省略されて)漢字があてられるようになり、
その由来についてよく考えられることのないまま、日本語の地名として定着した。

そこで登場したのが山田秀三である。
山田秀三は、戦後、官僚を辞すると北海道曹達社長に転ずるかたわら、
仙台鉱山監督局長時代から東北にアイヌ語由来らしき地名があることに関心を持ち、
北海道に移っては徹底的な現地調査でアイヌ語地名研究の第一人者となった人物だ。

山田秀三は松浦武四郎らの資料からアイヌ語地名が土地の特徴を表しているうえ、
遠く離れたところにも同じような地名があることに着目し、
似た地名が付けられているからには、それにふさわしい似た地形があるはずだとして、
徹底的に現地調査を行い、その地名が意味する地形がどんなものかを認定していった。

それも、土地の古老からのききとりばかりではなく、
タクシーを借り上げる際には、その土地生まれのベテランを運転手の条件とし、
運転手からもその地のかつての姿を聞き取るなどするという徹底ぶりだったらしい。
特に解説はなかったが、山田秀三が調査した戦後の時期は、
アイヌの言葉を母語とした明治半ばの生まれの古老があたりまえにいたのだろう。

むろん、山田秀三だけがアイヌ語地名の研究をしていたわけではないだろうが、
展示された大量の研究ノート(のカラーコピーを拡大したもの)を見ていると、
山田秀三が夢中になって調査し、既存の研究を大きく書き換え、
アイヌ語地名研究を大きく進化/深化させたことは間違いなさそうだ。

続いて登場したのか、1936(昭和11)年の吉田初三郎による北海道鳥観図。
吉田については鳥観図芸人と勝手に呼んでいて、
似たような日本各地の鳥観図を残しているのだけれど、
まず縮尺を無視して誰もが知っている駅や鉄道、寺社、観光地などをしっかり描き、
左右の上端には独特の遠近法で果てしなく遠い場所を描くことを常としている。
今回の北海道鳥観図では、右上には千島列島、左上には朝鮮半島が描かれている。

最後に、移住案内や観光案内などとともに展示されていたのが、かつての鉄道路線図。
現在の路線図と比べると、路線がずいぶん細っていったたことがわかる。
哀しいことだが、現実だ。

そして、もう一つの現実は、ヒグマ出没情報の注意喚起。
北海道博物館は、ヒグマが出没情報が続いている野幌森林公園の一角にある。
確かに、クマが出てきても不思議ではないような森だ。

もっとも、札幌彫刻の森美術館も、
先日、住宅地にクマが出没し射殺された場所のすぐそばではあるのだけれど。
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