幾江こと大竹しのぶさんのデート話が一部で盛り上がっておりますが、
恋多き女・大竹しのぶの相手の一人に故中村勘三郎の名前があって苦笑しました。
じゃあ、四三とはリアル義母みたいなものじゃねえか。
さて、この回は、大きな転機の回でした。
まず、文無し朝太クンはとうとう警察の世話になり、新聞で圓喬師匠の死を知ります。
同部屋の親分に噺を聞かせるのですが、上手いけれど面白くないという反応。
しかも、ふだんはフラがあるのに、噺にはないという残酷な評価を言い渡されます。
それならと、師匠の噺を思い出し新橋での別れを反芻しつつ、魂をこめた噺をする朝太、
かくして自ら髪を切り、小円朝のもとで前座噺からやり直すことにします。
自分を大きく見せることよりも、まずは客を楽しませるべきという、
プロとしての覚悟ができたということでしょうか。
一方、スヤが毎朝幾江の顔を洗う鉢を用意するかわりであるかのように、
四三のもとには、池部家の金が届くようになりました。
おかげで四三は金回りがよくなり、毎日、後輩に豚鍋をおごるようになります。
しかし、この後輩を育てるという姿勢は、四三の後半生を象徴しそうです。
しかも、四三が下宿の向いには、女子スポーツに意欲を燃やすシマがすんでいました。
ほのかな恋心モードもあったりで、クドカンも無駄にややこしい展開にしています。
そんなところへ、スヤもまた「あの山越えて」東京にやってきます。
「スヤが部屋におる」四三が驚くのも、喜ぶのも十分にわかります。
しかし、「帰ってくれ」ってなにそれ。
さすがに「甘えは堕落の入口」は、あんまりすぎる。
しかも、気まずくなって走りだすって、15の夜かよ四三クン。(25歳にもなって)
世界新記録を出し、ストックホルムから4年間、
本当に走ることにしか関心がなかった四三の気持ちとはうらはらに、
サラエボ事件に始まった第一次世界大戦は止まることを知らず、
ついにベルリン・オリンピックは中止となってしまうのでした。
というわけで、今回の秀逸は、
死んでしまったのが惜しいほどに上手くなった円喬こと松尾スズキの「文七元結」でも、
同じ月を見ているはずの四三を思いながら手紙を書くスヤの切ない表情でも、
もはや空回りキャラになってしまったオリンピックの理想を語る治五郎先生でも、
さすがの実次兄貴も平謝りするしかない、幾江の「サネツグーッ!」の一喝でもなく、
大人の風格を自然に感じさせる二階堂と永井のさわやかな抱擁と、
再度の抱擁をさりげなく拒否されるやっぱり残念な永井先生。
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