大瀧詠一が亡くなってから、もう5年もたっていることに驚きました。
太田裕美が歌った「さらばシベリア鉄道」は、
CM作品(三ツ矢サイダーとか)を除けば、私的には初めて聞いた大瀧作品でした。
その後も作曲家・プロデューサーとして発表された数々の作品は、
洋楽を聞き込んだ中から生み出される無国籍なオシャレさと、
邦楽も聞き込んだ中から生み出される土着な音頭感覚とを取り交ぜた、
美しいけれけど親しみのある不思議な感覚でありました。
大瀧詠一の若い頃には、まだ「日本語のロックは可能か」という論争がありました。
今となっては何を真面目にとんでもないことを言い合ってたのかというところですが、
それは、「いだてん」の中でも描かれている
「日本人にオリンピックは可能か」という迷走にも通じるように思います。
さて、今回は、ゆったりとシベリア鉄道の旅が描かれました。
単に移動するだけなら一瞬でストックホルムについてもよいのですが、
「いだてん」は、当時、まだ独立国が少なかったアジアを代表する形で、
しかも、金栗四三という庶民が初めてオリンピックに参加した物語です。
「真田丸」での関ヶ原が戦勝気分の真田にとっては突然の「情報」だったのと同様に、
当時の日本人が初めてヨーロッパにたどり着いた際の心境を正しく描くためには、
トイレでも正装に当惑する四三や平然と身づくろいをする弥彦を描いても、
大森夫妻の覚悟や治五郎先生の奮闘を描いても、それでもなおたどり着かないほどに、
(熊本からの上京以上の)長い時間をかける必要があるのです。
途中、うっかり伊藤博文暗殺の地・ハルピンで降りてしまうことで、
伊藤博文が暗殺されるほどに日本人を歓迎しない地がアジアにはあることを描きます。
車内で見かけるドイツ人・ロシア人・アメリカ人・フランス人を寸描するのも、
四三たちが向かう土地が日本人にとっては遠い存在であることを示唆します。
四三と弥彦が、結核の大森と同じコンパートメントで良いのかと心配しつつも、
それでも、シベリア鉄道での最後の晩餐では、
四三もナイフとフォークにも慣れて、臆せず葡萄酒を注文するようになっています。
ということで、今回の秀逸は、
スヤの顔を立て高額の金を用立てても、嫁の仕事は厳しく申し渡す姑・幾江でも、
美濃部君改め三遊亭朝太の五輪じゃなかった五厘の思い出でも
大森に批判的な四三の葉書に、ここぞとばかり悪態をついた直後に、
真相を知り反省してしまう可児と永井の残念ブラザーズでもなく、
どんなに環境が変わろうとも揺るぎなく快便を出し続けてくれる
あまりに壮健すぎる四三の大腸。
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