mixiユーザー(id:37214)

2018年09月13日21:42

77 view

今週の「この世界の片隅に」

原作を読んだときに、最初の内は意外であり、読み進めるうちに納得したのは、
「昭和20年8月15日」が単なる通過点であったことでした。
よく考えれば、庶民にとっては戦争の前からも戦争中も戦争が終わっても、
日々の暮らしはずっと続いているのです。

右手を失ったすずは、その代償であるかのように爆撃機に毒つくほど強くなり、
玉音放送に対しても、「覚悟のうえじゃないんかね」「納得できん」と叫びます。
ふつうは、伊藤蘭のように、生き残ったことに安堵したのが正直なところでしょう。
(手塚治虫少年は、阪急百貨店のコンコースで灯りのついた街に万歳したといいます。)

そんな状況で、「怒りに震えるすず」という描写を成立させるのは、相当な冒険です。
すずは、「最後の一人まで戦う」(のだから、戦死も空襲も受忍せよ)というタテマエを、
ある日、突然、平気で覆している人たちに心の底から怒っているのです。
この難しい場面を見事に演じきった松本穂香さん、本当によく頑張りました。

顔も分からなくなるほどになっても呉まで歩き続け、行倒れていた男性は、
木野花というか刈谷さんの長男で、幸子の兄でした。
そんな厳しい状況にあっても、幸子が祝言をあげられたのは、
ドラマだけの脚色とはいえ、少しほっとさせてくれるところです。

そして、行こうと思えば行くことができる呉だからこそ、見えてしまう広島の惨状。
しかし、呉にいるだけでは、けっして見ることのない広島の惨状。
広島に行った医師や竹内都子が、沈黙したり寝込んでしまうことで、
広島の厳しさを私たちに想像させます。
もう、すずには妹からの読めないハガキだけが頼りです。
(あの女性配達員は、刈谷家にも友人からのハガキを届けたのでしょう。)

というわけで、今回の秀逸は、
空襲にあって、看板(と割れたリンドウの茶碗)しか残っていない遊郭に自然に誘導した
周作のいつでもさり気ないやさしさでも、
玉音放送を聞いた北条家に集まった人たちが繰り広げる
小津安二郎的な妙に歯切れのよいやり取りでもなく、
その間、かみしめるように動かなかった塩見三省が見上げる静かで空襲のない青空。
1 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2018年09月>
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30