ついに、目覚めました。
といっても、天下に狙いを定めた家康のことではありません。
ずっと、小日向・秀吉・文世のいうところの「受けの芝居」に徹してきた堺・信繁・雅人が、
ついに、この回で自分の意思で歴史にかかわることを決意したのです。
大河の主人公が8月の終りになるまで、
自らドラマを動かすことがなかったというのも稀有なことです。
ところで、今回の三成による「家康夜襲未遂事件」は、三谷による創作です。
どこにも記録に残っていないかもしれないけれど、
もし残された記録と矛盾しないのであるならば、そんな出来事はあったのかもしれない、
という巧妙な三谷史観によります。
もっとあけすけに言えば、関ヶ原をめぐる諸将の立場や対立の構図を、
場面や時間を前後させつつ描くと面倒だし、大人の事情も大変なので、
ほぼ伏見の徳川屋敷を舞台に、一夜の出来事として説明しきったとも言えます。
柄にもなく、武力によって家康を排除しようと試みた三成ですが、
それを察知した家康が諸将に救いを求めることで、逆に窮地に陥ります。
寧は、家康の他家との婚姻よりも、三成の挙兵の方を許しませんでした。
幼い秀頼が大事な大阪城では、茶々に代わって大蔵卿局が三成を一喝します。
かろうじて様子見をしていた忠興は、手土産の干し柿という舐めた態度の三成を退けます。
最後に訪れた吉継は、自分が員数外と思われていたことを自覚しつつも、
配慮したつもりの「輿を用意する」の三成の言葉に、家康のもとに行くことを決意します。
三成では、豊臣家は守れない。
それが、豊臣恩顧の大名の一致した答えでした。
それでも清正は、最後の友情で三成のもとを訪れます。
このあたりの作劇が、三谷の実に上手いところです。
いつのまにか三成のバックには、
氏政の時にも流れたマーラー風の「滅びのテーマ」(勝手に命名)が流れています。
しかし、改めて言いますが、今回の出来事は三谷の創作です。
だからこそ、大蔵卿局は、茶々に「伏見で何が起こっているの」と問われたとき、
「何も起こってはおりませぬ」と言い切ったのです。
ということで、今回の秀逸は、
もう一人、義に生きるために一身を投げうつことに覚悟を決めた景勝のことを
少し嬉しそうにしている直江兼続。
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