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2016年03月01日23:49

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時代を越えて(79) 内田樹編「日本の反知性主義」晶文社

 内田樹編(執筆内田他9名)「日本の反知性主義」晶文社2015 を読んだ。主力の執筆は内田と白井聡で40ページ。他は20ページほど。このうち精神科医の名越康文のものは内田との対談である。

 内田は前書きで執筆者への依頼状を掲載している。以下、要約しておく。
 安倍政権の民主制空洞化の動きが進行し、集団的自衛権の行使容認、学校教育法の改定などの「成果」を挙げている。しかし、国民の40%がそれを支持している。
 この要因は、先の戦争の時、知性も倫理も信頼できない戦争指導部に国民が運命を託したのと同じく、国民の知性が不調になっているからでないか。
この問題を解明するために「日本の反知性主義」をテーマとした。リチャード・ホーフスタッター「アメリカの反知性主義」はアメリカ人の国民感情に伏流するアイデンティティーとしての反知性主義を摘抉した名著である。
 現代日本の反知性主義はかなり異質なようだが、それでも社会の根幹部分に反知性主義・反教養主義が食い入っている。
 それは、どのような歴史要因で起きているのか。知性の活動の停止によって、どのような疾病利得(病気で得をするから治りたくないこと)があるのか。ラディカルな解明をお願いしたい。
 ☆海風:ようするに、本書は、自民党安倍政権批判の時事評論である。安倍政権は民主政治を空洞化させているのにどうして支持率が高いのか。国民の知性が衰えたのか(馬鹿なのか)。反知性・反教養主義という病気を治りたくないのは、何か得をすることがあるのか、という疑問に答えようとする共同評論集である。

 1.反知性主義者たちの肖像 内田樹(1950年生 神戸大学女学院名誉教授、武道家)
 他人の言うことを聴く。聴いて「得心がいったか」「腑に落ちたか」「気持ちが片付いたか」どうかを自分の内側をみつめて判断する。そのような身体反応を以てさしあたり理非の判断に代えることができる人を、私は「知性的な人」とみなす。
 ☆海風:ここは納得なのだが、批判対象たる安倍政権に対して、この手続き(批判対象の言いたいことを内在的に理解しようとすること)を踏んでいるのか、いささか疑問だった。

 知性というのは個人においてではなく、集団として発動する。知性は「集合的叡智」として働くのでなければ何の意味もない。単独で存立しえるようなものを私は知性と呼ばない。
 彼がいることで集団全体の知的パフォーマンスが高まった場合、事後的にその人は「知性的」な人物と判定される。逆に低下する場合は、いくら彼の「知力」が高くても、その人は「反知性的」とみなす。
 ☆海風:「我思う」ではなく「我々想う」だと言うのか。確かに、マルクス主義には「集団的叡智」の変種たるプロレタリアートの「階級的叡智」が仮定されていたような・・・気もする。
 しかし、集団的知性を活性化できる人が知性的な人だとは、いささか限定しすぎていて、いくらもいないのでなかろうか。教室の活性化という学校の教師の役割を想定しているのだろうか。

 反知性主義者たちにおいては時間が流れない。「今、ここ、私」しかいない。したがって、反知性主義者は過度に論争的であり、相手を威圧することに熱中する。
 ☆海風:確かに、過度に防衛的で、少しの誤解も許せないのか、厳密に訂正してくる人もいた。それは、反知性というより神経質というべきでないのか。著者の内田が最初に述べているように、知性とは相手を内在的に理解しようとする努力のことではないのか。

 アメリカのマッカーシー上院議員はそのような人物だった。なぜ、彼がそんなに大きな影響をアメリカ政治に与えたのか。R・H・ロービア「マッカーシズム」によれば、マッカーシーが「政府には共産主義者が巣くっている」と言った時、彼自身は全くそのことを信じていなかったからである。
 ☆海風:1950年に発覚した原爆スパイ事件(ローゼンバーグ夫妻事件)は、同年に始まったマッカーシー委員会の活動の追い風になったに違いない。夫妻の助命活動が行われ、処刑の後も冤罪だとの訴えもあったらしいが、1991年のソ連崩壊後の暗号の解読で夫妻の活発なスパイ活動が明らかになったと言う。
 副大統領のトルーマンも知らされていなかった最高機密の原爆まで盗まれていたわけだから、アメリカ国民がソ連の脅威を恐れたのも無理はないのでなかろうか。同時期にソ連によるベルリン封鎖、中国の共産化、朝鮮戦争もあった。

 民主制は何か「よいこと」を効率的に適切に実現するための制度ではない。「わるいこと」が起きた後に、国民たちがその時の決定に関与していないので責任を取らない、と言えないようにする仕組みである。そのために「国民」という想像の共同体をつくり、成功の果実を享受する権利はあるが、失敗の場合は支払い義務がある、とする。この責任は、後世の人間にも引き継がれる。
 日本のかっての被侵略国はいつまでも日本の責任を追及し、子孫たちはその負債を払わなければならないだろう。
 ☆海風:なんだかネガティブな民主主義解釈である。ビアスの悪魔の辞典でもあるまいし。それとも、民主主義自体が丸山真男の言う無責任の体系だとほのめかしているのか。       
 しかし、欠点はいろいろあっても、どうころぶかわからない哲人独裁(フランス革命でのロベスピエール独裁とか哲学者毛沢東の独裁など)よりずっと安全運転だろう。
 なお、いつまでも責任を追及されると言うが、示談(条約)が済めば終わるはずである。そうならなかったのは、アメリカが日本を警戒し、中国、韓国を信用していたからであろう。保守政治家は覇権国アメリカに逆らうのはもうこりごりなのである。

 反知性主義者たちはシンプルな説明を求めて、「一望俯瞰すること」に固執する。
 ☆海風:安倍政権の「地球儀俯瞰外交」への皮肉だろうか。


 2.反知性主義、その世界的文脈と日本的特徴 白井聡(1977年生 京都精華大学教員)
 今日の日本社会で反知性主義が跋扈していることについて、本書の読者はほぼ異論がないであろう。本稿では、なぜそうした事態が生じているのかを現代社会の構造的状況のうちに根拠づける。
 ☆海風:異論があっても読む場合がある。それに、全部に異論があるなどということはあり得ないし。

 一つの文脈は、ポストフォーディズムあるいはネオリベラリズムと呼ばれる1980年代から世界的に顕在化した資本主義の新段階において、反知性主義の風潮が民主制の基本モードにならざるを得ない、という事情である。
 ☆海風:大量生産でなく、ターゲットを絞った個性的商品の生産体制に変わったこということは、貧富の格差が大きくなって、多数派の貧の方が知性の衣を捨てて本音モードになったということか。今、アメリカのトランプ旋風もそうなのか。

 もう一つは、人間性の完成という理念の死滅である。社会の世俗化によって解放された近代性の発展は、世界の中心を神から人へ移した。つまりヒューマニズムの原理である。しかし、今、その理想像は建前としても消滅した。
 ☆海風:人格者は遠くなりにけり? 

 高学歴者にも反知性主義者はいる。内閣総理大臣補佐官の磯崎参議院議員は、「憲法改正草案に対して立憲主義を理解していないと言う批判をいただきますが、そんな言葉は聞いたことがありません」とツイッターで発言した。東大法学部卒である彼が、立憲主義を知らないと言うのは、知るに値しないと言う態度から来ているのであろう。
 ☆海風:立憲主義という言葉が安部批判用に特化していた、という状況もあったような気がする。イギリスの場合、判例と議会決議が法律の代わりだし、その中で国の骨格を決めるものを憲法と呼ぶそうで、特別扱いしていないようである。

 スティーブ・ジョブズの「Stay hungry,Stay foolish」は、世界的名文句、時代精神になった。1%のグローバル・エリートにとっては、「際限なく貪欲に富を追求せよ、クレイジーなアイデアを脳内に湧きださせろ」との内容を意味した。
 ☆海風:ハングリーという言葉を覚えたのはボクシング選手の心の持ち方としての意味で、だったと思う。ハングリーでなければ、厳しい練習に耐えられないから。日本人の横綱がいなくなったり、優勝できなくなったりというのもハングリー精神が弱くなったからでないのか。
 フーリッシュをクレイジーと言い換えているが、いずれにしても常識にとらわれるな、そしてフール(つまり道化師)に心を遊ばせろ、という意味だと思うが。
 北大クラーク博士のボーイズ ビー アンビシャスも、野心的にということで必ずしも紳士的な言葉でなかったと思う。
 白井の解は、最初におかれている内田のいうような、まず、知性的に相手を理解する態度を外れているのでないか。

 学問における啓蒙主義の公然たる放棄は、学問に課せられた「人間性の完成」という理念のアカデミアからの追放を意味する。
 ☆海風:大学に教養科目が少なくなってきたということか? 

 フロイトの措定した近代的人間像は「抑圧」をベースとしていた。すなわち、エディプス・コンプレックスによって自らの原初的な欲望を「抑圧」した後、「抑圧されたものの回帰」と折り合いをつけることによって主体化するという精神発達史を背負っていたが、「否認」を心的生活の基礎に置いたポスト啓蒙主義の主体(ネオ主体)は、母子一体の幼児的万能感を手放そうとしない。(立木庸介「露出せよ、と現代文明は言う 心の闇の喪失と精神分析」)
 白井は立木を引用して、このネオ主体が、今日歴史修正主義的欲望を噴出させている人々である、とする。
 ☆海風:この立木の説明は分かりやすい。白井の「永続敗戦論」での戦後日本の保守政治は、敗戦を抑圧したのでなく否認して見ないふりをしていた、ということか? しかし、吉田首相以来の歴代首相がそんなブラジルの勝ち組みたいなことをやっていたのだろうか。

 2010年の秋に、当時の仙石官房長官の「自衛隊は暴力装置である」との発言をめぐって、「自衛隊に失礼である」という批判が噴出した。その尻馬に乗って佐藤正久議員はマックス・ウェーバーは左翼だとツイッター上で述べた。
 政治学や社会学の学問用語に非難の声を上げたのは反知性主義的大衆に他ならない。
 ☆海風:国家が暴力を独占する。秀吉の刀狩りはそういうものだったし、アメリカはそれができないので銃による無差別犯罪に苦しんでいる。
 これを正確に実態に即して言えば、国民の安全を守るために、国家が自衛隊を、警察庁の調整の下に都道府県が警察を管理運営している、ということである。その代わり、各個人は暴力装置をもってはならない。それでも暴力団はいるのだが。

 戦前の天皇制国家は、反抗者たちに苛烈な暴力を加えたが、一方では転向を促して「優しく」接したのである。
 赤軍派のあさま山荘籠城の銃撃戦では、赤軍兵士の母に投降するように叫ばせた。赤軍兵士は茶番であったが、母の登場で茶番性を完成させたのである。
 ☆海風:この問題は、昔からよく言われていた。
 あさま山荘での銃撃戦に母親を連れてきたのは、犠牲を出したくなかったからである。アメリカなら全員撃ち殺すまでやっただろうが、人質にも警察側にも犠牲が出るかもしれない。
 これを茶番と言い切る著者には、人情だか、想像力だかが欠けていると言わざるを得ない。

 日本社会は「敵対性の否認」に基づく思考様式で、依然として社会契約に基づく国家になっていないことを示した。要するに、この国には社会がないのでる。
 ☆海風:ルソーの社会契約論は実体の中からの帰納でなく、ルソーの頭にあった原始人像から演繹されたもの。別のモデルがあっていいのでないか。


 5.戦後70年の自虐と自慢 平川克美(1950年生 株式会社リナックスカフェ代表取締役)
 総理大臣安部晋三の政治手法について反知性的という言葉が貶下的な意味で使われるが、これには違和感がある。
 反知性主義とは、現場での体験の蓄積や生活の知恵がもたらす判断力を、知的な営為や想像力のもたらす合理性よりも信頼に値するという保守的イデオロギーのことである。
 これは田中角栄になら当てはまるかもしれないが、政治家一家の中で培養された安部晋三のことではない。
 ☆海風:分かりやすい説明で納得がいく。私も反知性というのは、内田の言う身体知のことだと思っていた。なぜ、内田は、反知性で安部晋三を批判しようとしたのだろうか?

 現大阪市長(当時)の橋下徹は知性というものを徹底的に軽蔑するポーズにおいて明確な反知性主義イデオロギーの持ち主かもしれない。
 ☆海風:納得。トランプさんにも似ている。

 安部と橋下の二人に共通しているのは、戦後日本の教育は自虐史観に基づいているという認識である。
 ☆海風:日教組が社会主義国家を目指す団体であることは公然の秘密でないのか。心の祖国と信じるソ連や中国の目線で教育してきたのである。韓国も教員団体は北朝鮮系とのことだし。私も子供のころを振り返れば思い当たることがある。社会主義者は階級闘争は取り上げるが、国家間の摩擦や紛争には関心が薄く、スルーしてしまうようである。

 ドイツ連邦共和国の大統領だったヴァイツゼッカーは、戦争の責任はナチスにあるとしたが、同時にナチスを支持したのは民主的なワイマール憲法下のドイツ国民であると指摘した。ナチス責任論はフィクションなのであるが、ドイツの指導者たちは国民に何度もそのフィクションを思い出させたのである。
 ☆海風:ナチスは私兵である突撃隊の脅迫のもとで政権を握った。敵だった共産党も武装していたようだし。日本の場合、責任を負わせる対象がない。東京裁判が設定していた共同謀議(つまり政権奪取のための陰謀集団)もなかった。戦争へ近づいて渦に巻き込まれたのは群集心理だったように思えてしまう。情けない話だが。

 日本は戦争に負けた。それを認め、自分の過誤として引き受け、戦争という紛争解決手段を否定して、そのなかからの再建を行うべきだった。
 安部晋三は国連演説で、戦後日本の行った数々の援助を述べ、積極的平和主義を唱えたが、戦争の加害者(つまり日本)のことに一言も言及しなかった。
 ☆海風:第二次大戦は、善と悪の戦いだと設定された。負けた方は悪(賊軍)なので、すべて改め「賊」軍も持ってはならない、というのもフィクションでないのか。


 7.身体を通した直感知を 名越康文×内田樹(名越 1960年生 精神科医)
 名越:知識なんか獲得したいなあと思うだけで心身の調子が良くなる。それが知性主義、教養主義の本質なんじゃないかな。
渡世の仁義の身体化・・・追悼・高倉健
 ☆海風:これが知性主義なら、安倍政権批判に使えないと思うのだが。

 農夫でも料理人でも鉄道員でも、あらゆる職業には固有のエートスがあって、それを身体化した人は他の職業人と同格であった。そういう職業感がいつからかなくなった。
 ☆海風:それでもまだあると信じたい。ミシュランもあるし。私は行く気もないし金もないが、誇らしい気はする。

 10.摩擦の意味―知性的であるということについて 鷲田清一(1949年生 哲学・倫理学)
 原発の再稼働へのシフト、特定秘密保護法、集団的自衛権へと現政府があからさまに舵を切っても、それを危ぶむ多くの声はくぐもったままなかなか横につながりません。
 ☆海風:確かに危ぶむ気持ちはあっても、他の国にはこれらは全部あるわけで必要なんだろうと思えるのでなかろうか。日本だけだとなれば、待ってくれとなるのだと思う。

 フランスにおけるイスラームのヴェール問題。2004年に、フランス議会は公立学校において宗教的帰属を誇示的に表すアイテムの着用を禁じる法律を可決しました。
 ヴェールはフランス人にとって女性に対する抑圧の象徴であると同時に、イスラーム移民の同化の挫折の象徴だった。
 ☆海風:イスラムは戒律の宗教なので、ヴェールはファッションでなく信仰のあかし。フランスが、学校に宗教を持ち込まないとするなら、それはそれで一つの方針だろう。それでどうなるのかは注目したいし、イスラム難民の受け入れ問題にも影響するだろう。

 その他の執筆者は、赤坂真理、小田嶋隆、想田和弘、高橋源一郎、仲野徹である。

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