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2015年08月07日10:46

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俳句、短歌、詩の幻想に向かって(6) 「教会のやうな冬日を歩みをり」

 1枚目 青山学院大学チャペル
 2枚目 チャペルの内部
 3枚目 実篤公園の湧水 調布市の旧武者小路実篤邸

 石田郷子 雑誌「俳句研究」平成18.1 所収
 この句は難解ではないが、冬の日差しを「教会のやうな」と形容したところがユニークだったと思う。夏は日差しを避けるが、冬は日差しがありがたい。教会に守られているような気持だろうか。作者の履歴はネットに出ていないので分からないのだが。

 ペギー葉山「学生時代」1964年(作詞・作曲 平岡精二)は、歌手も作詞・作曲者も青山学院大学卒で、彼らの学生時代を背景にしているとのこと。
 「つたのからまるチャペルで 祈りを捧げた日・・・秋の日の図書館の ノートとインクのにおい / 枯葉の散る窓辺 学生時代」
 こちらは甘い歌であるが、郷子句は静かで落ち着いた雰囲気がある。

 ソルジェニーツィン「イワン・デニーソビッチの一日」では、ラーゲリの地平線に冬の日が出ても、全く暖かさが感じられない、とこぼす場面があった。日本の冬の、といっても東北以南の太平洋側だが、ありがたさである。

 ところで教会と言えば「アルビノーニのアダージョ」を思い出すのだが、ウィキで調べるとトマゾ・アルビノーニ(1671-1751)の作曲でなく、1958年に音楽学者レモ・ジャゾッド(1990-1998)が作曲した偽作だとのこと。 なんだって自分の名曲を偽作にしたのか? それはいいとして、私はこのアダージョを聞くと、とたんに眠くなるのである。まるで、ステンドグラスの光の色の中にいるような、もとからそこにいたような気になってしまう。
郷子句も、そんな気持ちにひたったまま冬の日の中に出てきたのだろうか。

 もう一つ郷子句「ゆつくりと近づいてくる冬の水」 「俳句」平成18.3
 これは、水が近づいてくるのでなく、それだと洪水だし、近くの池を毎日のように眺めていて、だんだん、水が澄んできて、周りの木も葉を落として明るくなり、冬がゆっくりやってくるという期待の心を詠んだものだろう。
 普通は、「どこかで春が 生まれてる どこかで水が 流れ出す」百田宗治作詞 草川信作曲1923 のように、春を待つ心が多いのだが、作者は冬が好きらしい。
 分かりやすいのだが、私にはなかなか作れる句ではない。

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