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2009年04月05日22:45

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樹村みのり「彼らの犯罪」を読む

1990年代の樹村みのりというと、少女マンガ雑誌への掲載が少なくなり、
不真面目なファンの視界からは消え失せているような状態だった。

この本は、そんな1990年〜93年に
「ROSA」という少年画報社から出ていたレディース誌に掲載された3作と、
「Human Sexuality」という性教育誌に掲載された数ページの連作を集めている。

表題作を含めた3作は、発表時に日本で起きていた事件や問題を扱っており、
「コンクリート詰め殺人事件」「高校教諭による長男殺人事件」の傍聴記と、
私有財産を捨て理想郷を建設するという「ユートピア会」の洗脳体験を取り上げている。

傍聴記は、事実をルポライターの視線で整理し直す形式ではなく、
フィクションとして複数の人物を登場させ、異なる目線で事件を捉えようとしている。
特に、女子高生の事件では、被害者の尊厳を失いかねない表現は注意深く取り除かれ、
犯罪を犯した「彼ら」のあり方に視線を集めている。

全共闘世代の樹村みのりは、10代の若さで社会を告発する作品を描いていた。
ベトナム戦争やアメリカの黒人差別やナチスのジェノサイドなどがテーマとなった。
当時、全国的な運動となった「若者たち」による異議申し立てが、
やがて「大人になり」現実の生活との折り合いをはかることとなる中で、
樹村みのりの作品も「私がどう生きるか」という方向に転ずるようになった。

そのような意味では、この本に描かれた作品は先祖がえりのようなものだ。
1990年代になって、改めて周囲を見回してみると、
若いころに外国の大きな問題が許せなかったのと同じように、
今、日本という国で起きている様々な事件が許せなかったのだろう。

一つ意外でもあり、興味深かったのは「ユートピア会」への告発だ。
それまでの作品から垣間見える樹村みのりの考え方は、
いわゆる「ユートピア会」的な理想に近いもののように思ってきた。
それだけに、ことさら厳しい論調で告発しているということに驚かされたのだ。
むしろ、もともとシンパシーを感じていたからこそ、
つい合宿講習会に参加するような友人いたのかもしれないし、
裏切られたという思いが、より厳しい論調で告発する形になったのかもしれない。

今も、やはり樹村みのりは樹村みのりだったのだと妙に安心したが、
まあ、これらの作品とて、実は20年近い前のものであったりするのだ。
最近、時間がたつのが早すぎて困る。
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