五輪開催による巡りあわせとはいえ、終戦の日の御一新となりました。
そう思うからでしょうか。
突然聞かされた体制の大転換にパリの日本人たちが驚き戸惑い悔しがるさまに、
玉音放送を聞く国民の姿が重なります。
かくして、皆が関ヶ原の次に大好物の戊辰戦争のアレコレは、
時々くる御用状、日本から来る人や新聞から漏れ伝わる情報でしか伝わってきません。
この描き方は、「真田丸」の超高速関ヶ原並みの短さというよりも、
「いだてん」のシマちゃんの消息が今もわからないもどかしさに重なるように感じます。
そして、パリと江戸以上に遠かったのが、パリと血洗島の距離であり、
前回だが1ヵ月前から栄一の断髪姿や近代化ぶりを見ていた視聴者と千代との距離です。
断髪姿をあさましい(あきれる)という千代の価値観は、
杉浦の登場にひれ伏す市郎右衛門とともに、昔ながらの百姓のままでありました。
そんな中、栄一は資本主義による国造りを学ぶと、志のあるリアリストぶりを発揮し、
日本人内部の統制から対フランス政府の折衝まで上手く現場を仕切り終えました。
まさに「パリの退き口」の殿(しんがり)とでも言うべき難しい仕事です。
鉄砲を撃つだけが撤退戦ではないのです。
ところで、栄一の申し出があったとはいえ、
フランスが送金も危ぶまれる民部公子を熱心に引き留めている様子を見ているうちに、
普仏戦争でフランス本体が揺るがなければ、「親仏の旧体制の王子」を手元に置いて、
日本に介入して体制の再逆転を狙うという戦略もありえたことに気づいたのでした。
というわけで、今回の秀逸は、
民部公子の乗馬シーン(実は日本ロケ)の手前にこっそりと挟まれた
スーラの「グランド・ジャット島の日曜日の午後」を思い出させるセーヌ川の光景でも、
断髪した栗本鋤雲の天然パーマの長髪で、つい思い出してしまう加藤和彦でも、
見立て養子となったがために江戸に詰め、彰義隊に参加し、飯能まで転戦したものの、
栄一と喜作に運を手渡すかのように亡くなった平九郎の短すぎる寿命でも、
御一新とともに昇天したのではないかと妙に心配になった家康の不在と、
いつのまにか再登場を心待ちにしている「いだてん」の美川のような期待感でもなく、
出演者発表第7弾で「大阪の女中」も発表されたことなので改めて言うが、
世話になったパリのアバルトマンの一家三人の「オーボワ」に対して、
わざわざ娘にだけ目線をあわせて「オーボワ」と返す栄一の「そういうところだぞ」感。
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