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2013年10月05日17:24

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フィクションの中へ(14)  蝿の王

 ゴールディング「蝿の王」1954 は、ノーベル賞を受賞した小説ということで、だいぶ前に読んでは見たのだが、もう一つどう読めば良いのかとまどうものだった。下敷きになっているジュール・ベルヌ「十五少年漂流記」の方は子供のころ読んでいて、いかにも少年たちの冒険物語で、グループ間の対立もあるのだが、それらも含めて、面白かったのだが。

 ストーリーは少年たちだけで島に閉じ込められることになり、最初はリーダーのもとで秩序を保っていたのだが、野性の豚の狩猟をする分派ができたことから、対立・抗争が始まり、何人かの少年が死ぬことになる。狩猟派は豚の頭をを杭に刺しておくのだが、これに蝿がたかることで蝿の王と名付け、一層、未開人化してゆくことになる。また、落下傘兵が木に引っかかったまま死んでいるのだが、時々、その死体が落下傘に孕む風で空を飛ぶのを見て、死神に襲われるような恐ろしさに捕えられたりする。
 最終的には発見されて文明社会に連れ戻されるのだが、救助の飛行機の中で、イギリス人として秩序正しく救助を待てなかったのかと問われて、リーダーの少年はうなだれるばかりであった。

 この小説の対立軸は未開と文明、それもイギリスのジェントルマンシップだったのかもしれない。未開人と文明人の間に思考や行動に基本的な違いはないとするレヴィ・ストロースの思想は、「悲しき熱帯」1955、そして構造主義が主流の思想になったのは1960年代だった。
 まだゴールディングは未開と文明の間に越え難い差があると考えていたと思われる。

 確か文化人類学者の山口昌男だったと思うのだが、東大で未開人のトーテミズムや神話を説明していたところ、学生からそんな荒唐無稽な話を本当に信じているのか、そんなものに何の価値があるのかと質問されて、唖然としてしまったと書いていた。その時、学生を納得させられる説明ができたかどうかまでは書いてくれなかったので分からない。
 しかし、思い出してみれば、題名は忘れたのだが太平洋の島で石器時代の暮らしをして、時々やってくる文明人を先祖の魂が土産を持ってやってくるというような「カーゴ・カルト 積み荷信仰」を生きていた人物が、文明社会に連れてこられ、すぐに順応したという自伝を読んだことがある。つまり、文明人と未開人に差があるとすれば、推理してゆく経路に神話が挟まるというだけで、それなしでの説明があれば、すぐに了解できるのである。

 「蝿の王」の少年たちは、全部ではないのだが、逆に未開の説明の仕方にすぐに順応してしまうという逆転、あるいは退化した状態に陥った、と作者は考えているのではなかろうか。「猿の惑星」のようなペシミズムである。

 ウィンパー「アルプス登攀記」では、イギリス人の登山家が崖から墜落して行った時のことを、ウィンパーは「イギリス人らしく一声もあげることなく落ちて行った」と伝えている。これぞジェントルマンの何事にも動じる事のない心根に違いない。池田潔「自由と規律 イギリスの学校生活」岩波新書1949 では、パブリックスクールでの鍛錬の生活を描いているが、これはハリー・ポッターのホグワーツ魔術学校の生活と同じようなものであった。しかし、ゴールディングはもうパブリックスクールの教育を信じていないようだ。

 ところで、この小説は未来の核戦争での荒廃の中での事件を描いているのだが、ひょっとしてモデルになったのは第二次大戦での日本軍との戦闘だったのかもしれない。日本敗戦後のイギリスによる日本兵捕虜の残酷な取り扱いは会田雄次「アーロン収容所 西欧ヒューマニズムの限界」中公新書1962 にくわしい。ここでは、イギリス人も日本人に影響されたのか? すっかり野蛮化しているのである。まさしく「蝿の王」の世界であった。
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