mixiユーザー(id:34218852)

2014年08月02日14:32

302 view

ファンタジーの中へ(33) 「かくかくしかじか」・・・先生と私の物語

 以下、ネタばれ注意。
 東村アキコ「かくかくしかじか」集英社1−4巻(継続中)を読んだ。かみさんがファンだとのことで。漫画家、東村アキコの自伝ということであるが、著者はまだ36歳。大学受験を控えた16歳に始まる漫画家誕生物語なのであるが、少し毛色が違っているのは、10年ほど指導してくれた先生は画家であって、先生は著者が画家を目指していると最後まで信じていたらしいことである。らしいというのは、まだ先生の最後が分からないからなのだが。
 物語は、宮崎市の地元で有名な受験校にいるにもかかわらず、のんびり漫画を読む生活で、いつも追試でぎりぎり進級していたのが、3年生になって国公立の美大を目指すことにする。親から離れて心ゆくまで漫画を読んで、漫画家デビューを果たすつもりなのである。(著者によれば、タイムマシンがあればあのころに戻って自分を殴ってやりたいそうである。)国公立というのは、それしか授業料が払えないと親が言うからである。
 ところが美大に入るためには絵が描けなければならないことを知って、急きょ同級生の行っている画塾を紹介してもらったのだが、その先生と言うのが熱血スパルタ先生で、自分のところに来た以上、責任もって美大へ入れる、そのためにはデッサンデッサン基礎基礎とばかりに竹刀をふりまわすのである。高校のクラブの絵の先生はやさしい人なので、てっきり、楽しい時間を過ごすつもりだった著者のおもわくは消し飛んでしまうことになった。
ついに耐えられず、「気分が悪いので、母親に迎えに来てもらう」、と嘘をいって画塾を飛び出したのだが、すぐに著者めがけて先生が追いかけてくる。先生のところへ入れ違いに母から電話がかかり急用ができたので留守にすると伝えてほしいと言ってきたのである。それで、バスのない時間帯だからと心配して先生が追って来たのだった。つまり、先生は前半も嘘だとまでは気がつかなかったという、まことにイノセントな人だったのである。
 ということで、授業のスパルタぶり、授業が終われば人情家で、生徒を信じて、画家になりたい希望があると疑わない先生のもと、辞めるにやめられず、もっとも辞めても代わりの画塾はないらしいのだが、結局、金沢の美大に合格したのである。
 しかし、泥沼はなお続く、大学では絵を描く気がせず、漫画も描けずの4年間で、卒業制作では、先生の「鏡の自画像をそのまま描け、考えるな」という例によっての強引な指導で、めでたく卒業なったのである。学生の間に恋人ができたのであるが、就職のあてがなく、帰って来いという親と先生の求めに従って泣く泣く、宮崎に帰り、画塾の助手になることになった。
 恋人のもとへ行きたい。旅費がほしい。そうだ漫画の懸賞に応募しようと、必死になって書いたものが、まさかのデビュー付きの三等だった。恐る恐る先生に告げると、意外や先生は喜んで、よくやった、これで漫画で稼いで絵を描ける、二人展を開こうと大喜びだった。どうしても著者の真意に思い至らないのである。
 これでは漫画が描けない。友人になった漫画家仲間が大阪にいたので、先生には半年ほどと嘘をついて大阪へ出て、楽しく漫画家人生を始めたのだが、ある晩おそく先生から恐ろしい打ち明け話の電話がかかって来た・・・。

 というところまでで、最後の頼みに反して、先生に真意を告げるのか、それとも・・・というところは第5巻を待たねばならない。

 漱石の「こころ」では、先生が秘密を抱えて、最後に告白するのだが、ここでは「私」が秘密を抱えていたのである。先生があまりにも信じこんでいるからなのだが、10年間ほど(予想では最後まで)心がすれ違っていたことになる。
 言いかえると、漱石の「こころ」大正3年は、藤村「破戒」明治38年の影響を受けているに違いない。いずれも、誤解に基づいて尊敬されていた先生の生徒への謝罪の物語であった。逆に、「かくかくしかじか」は生徒による先生への謝罪であった。
 著者は、先生とのことは初めて描くと言っているが、確かに、おかしくも重い心のすれ違い物語ではある。

1 6

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2014年08月>
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31