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2021年11月18日10:23

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日本の心26〜平清盛を長男・重盛が諌めた理由

 『平家物語』は、栄華を極めた平氏が滅亡した原因は、清盛が皇室の権威を侵すほどに奢り高ぶったからだという見方をしています。このことをよく表しているのは、平重盛が父・清盛を諫める場面です。
 権勢を誇る平氏一門は、傲慢な振る舞いを続け、平氏を取り立ててきた後白河上皇やその近臣からさえ反感を買うようになります。そして上皇や藤原成親(なりちか)らが、平氏の打倒を謀議します。しかし、これが発覚し、清盛は彼らに容赦ない処罰を下そうとします。いわゆる鹿ケ谷事件(1177)です。この時、清盛の暴挙を制しようとしたのが、長男の重盛です。重盛は単に武勇に秀でただけでなく、温厚で人望も厚い人物でした。そこには、後世の武士道において目標とされた、武勇と人徳を兼備した武士の姿が描かれています。
 『平家物語』の巻第二の五「教訓の事」より、重盛が父・清盛を諌める場面を、現代文訳で引用します。
 「そもそも日本は神国です。神は非礼を受け入れません。ですから、神の子孫である法皇の思い立たれたことも、半分くらいは道理に合っているのです。特にわが平氏一門は、代々朝敵を征伐して、天下の争乱を鎮めたのは、無双の忠義ですが、その褒美(ほうび)を自慢するのは、傍若無人(ぼうじゃくぶじん)というものです。
 聖徳太子の十七箇条の憲法に、『人間はみな心を持っている。人間の心は、ものごとにとらわれる性質がある。あちらが正しければ、こちらは誤っている、こちらが正しければ、あちらは誤っている、と決めつけてしまうが、正しいか誤っているか、その判断の絶対基準は人間が定めることはできない。お互いに賢くもあれば、愚かでもある。賢と愚とは一つの環のようにつながっていて、両者が分かれる端というものはない。だから、たとえ相手が怒っても、相手が悪いと決めつけず、自分のほうに間違いがないか反省すべきだ』とあります。

 それにしても、今回の事件に関しては、わが家門の運命がまだ尽きないからこそ、法皇の謀反が露見したのです。しかも、共謀者の成親卿を逮捕してある以上、法皇がどんな奇策を用いようとも、何も恐れることはありません。
 謀反人どもをそれ相応に処罰したならば、引き下がってこちらの事情を納得してもらい、法皇にはますます奉公の忠義を尽くし、民のためにいよいよ思いやりを持つようにすれば、神の加護があり、仏の思し召しにかないます。神仏が父上を受け入れるならば、法皇もきっと反省されるでしょう。
 君と臣の関係は、親しいか疎いかで決めるものではありません。臣は君につくものと決まっています。道理と非道と比べれば、道理を選ぶのは当然なのです」
 このように述べて重盛は、父・清盛を制します。さらに重盛は、もし清盛が武力を振るうならば、自分は、君である法皇を守護するつもりであるといいます。そして、法皇に忠を尽くすか、父に孝を尽くすか、板ばさみになった苦悩を語り、自分の首をはねてくれと訴えます。この命がけの諌めには、さすがの清盛も心を動かされました。清盛は後白河上皇を離宮に軟禁することを、思いとどまりました。死罪とするつもりだった首謀者の藤原成親についても、流罪に減刑しました。
 重盛は、奢る清盛を抑えられる唯一の人物でした。武勇に優れ、人格者でもあり、平氏一門の要でした。しかし、この重盛が清盛に先だって治承3年に病死してしまいます。その後、歯止めを失った清盛は、独断専横を続け、その結果、平氏は没落・滅亡に至るのです。
 重盛の諌言には、日本は神の国であるという神国意識、武士は皇室を敬うべきものという尊皇心、親や一族を大切にしつつも、親への孝より君への忠を優先すべしという忠孝観が込められています。そこには、武士道の根幹となる思想が、よく表れています。また同時に、日本の国柄について、私たちに再認識を迫るものがあると言えましょう。

参考資料
・『ビギナーズ・クラシック 平家物語』(角川書店)
・佐藤謙三校注『平家物語』(角川ソフィア文庫)

 次回に続く。

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