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2021年11月15日09:00

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日本の心25〜平氏滅亡の原因〜『平家物語』の真意

 武士という階級が現れたのは、平安時代の後期、10〜11世紀頃です。この武士の勃興期に活躍したのが、平氏と源氏でした。貴族の家来だった彼らが、政治の舞台に進出するようになるのは、古代の朝廷政治が爛熟・腐敗し、対立・抗争を生じたことによっています。
 その矛盾が極点に達したのが、保元・平治の乱でした。保元元年(1156)、藤原氏の内部抗争に端を発した争いは、皇位をめぐって天皇と上皇が戦うという未曾有の事態に至りました。後白河天皇側には藤原忠通・源義朝・平清盛ら、崇徳上皇側には藤原頼長・源為義・平忠正らがつき、一家一族が分かれて戦いました。勝利を得たのは、天皇側でした。これが保元の乱です。
 この時、源義朝は勝者になったものの、上皇方についた父・為義の首を斬らせるという非道を行いました。子が親を殺すという前代未聞のことでした。その後、義朝は恩賞に不満を持ち、藤原信頼と結んで兵を挙げますが、平清盛の反撃にあって敗れます。これが平治の乱(1159)です。その結果、源氏は敗退し、平氏が全盛期を迎えます。
 こうした時代を描いた物語が、『平家物語』です。『平家物語』は、武士が貴族に代わって権力の中枢部に上り、独裁的権力を握った平氏が栄華を極めた後、わずか20数年のうちに滅び、代わって源氏が武士政権を確立するまでのいきさつを描いています。
 「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。驕れる者久しからず、ただ春の夜の夢の如し。猛き人もついに滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ」という冒頭はあまりにも有名です。
 「諸行無常」とは、仏教の世界観を表わす言葉です。しかし、『平家物語』は単に仏教的な無常観を表わしているのではありません。冒頭の文はすぐ次のように続くからです。ここからは現代文訳で引用します。
 「遠くシナの歴史を尋ねると、例えば、秦の趙高、漢の王莽、梁の朱弃、唐の禄山、これらの者はみな、帝の政治にも従わず、楽しみを極め、諌めをも入れず、天下が乱れて庶民が困窮しているのも省みなかったので、滅んでいった者たちである。
 近くはわが国を見ると、承平の平将門、平慶の藤原純友、康和の源義親、平治の乱の大納言信頼、これらの者たちも、それぞれ奢り高ぶった心の持ち主だった。
 もっと近い例では、伝え聞くところによると、六波羅の入道、前の太政大臣、平清盛という人の有様は、言い表わす言葉もない。その先祖を調べると、清盛は、桓武天皇の第5皇子・葛原の親王から9代にあたる子孫である讃岐守正盛の孫であり、刑部卿の平忠盛の長男である」
 さて、ここで重要なことは、『平家物語』の作者が、平清盛について述べている内容なのです。作者は、清盛が自分の仕える主君の政治に反逆して、権勢の限りを尽くし、周囲の忠告に耳を貸さず、世の中が乱れてしまうことに気づかず、世の人々が何に苦しみ、何に歎いているのか、まるで反省しなかったので、その栄華は長続きせず、間もなく滅亡したと書いています。すなわち、平氏滅亡の最大の原因は、朝廷に対する反逆の罪である、それが一門を破滅に導いたのだ、と『平家物語』の作者は考えているのです。
 平清盛は、保元・平治の乱で目覚ましい武功を挙げ、僅かのうちに平(ひら)の参議から太政大臣という最高の位に昇りつめました。同時に一族の多くの者たちも高位高官に就き、武力をもって専横に振る舞いました。平氏一門は全国の半ば以上を支配するに至りました。さらに、清盛は、かつての貴族・藤原氏の後宮政策を真似し、娘の徳子(とくし)を高倉天皇の妃として皇室とのつながりを固くしました。終(つい)には、徳子の産んだ皇子、つまり清盛の孫が、3歳で即位して安徳天皇となりました。清盛は天皇の祖父になったわけです。こうして平氏一門は栄華の絶頂に達し、大納言平時忠などは、「此の一門にあらざむ人は皆人非人なるべし」と高言するほどでした。
 そのうち、平氏は、一族のものまでが公家と結婚することによって、武家という自分たちの本質を忘れて貴族化していきました。一方、源氏は武士の理想を失いませんでした。
平氏も源氏も、元は皇室に由来をもつ家柄です。皇室を敬い、皇室に仕えることが、武士のあるべき姿でした。しかし、平氏は、皇室の権威を侵すほどに奢り高ぶり、源氏は、皇室への尊崇を保ち続けました。平氏は、まさにこの点での源氏との違いによって、敗退・滅亡への道を下ることになったのです。『平家物語』の背景には仏教的な無常観が漂っていますが、事の核心にあるのは仏教思想ではなく、わが国の国柄であり、天皇と国民の関係なのです。
 『平家物語』は、琵琶法師たちの語りによって、後代の武士たちに広く親しまれ、武士の精神の形成に大きな影響を与えました。そこに記されたわが国の国柄と、国民の在るべき姿は、読む者、聞く者の心に深く刻まれていきました。また、忠度(ただのり)、敦盛(あつもり)、知盛(とももり)など滅びゆく平氏の武将たちの、美しくも悲しい最期の物語は、敵味方の憎悪を超えた武士の情を育み、武士道という独特の倫理を培っていきました。
 『平家物語』は、江戸時代には、広く歌舞伎・浄瑠璃などの題材にも取られ、庶民にも親しまれました。それは日本人の共通の物語となって、国民意識の形成に大きな役割を果たしたのです。

参考資料
・佐藤謙三校注『平家物語』(角川文庫ソフィア)
・梶原正昭・山下宏明校注『新日本古典文学体系 平家物語』(岩波書店)
・冨倉徳次郎編『鑑賞日本古典文学第19巻 平家物語』(角川書店)

 次回に続く。

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