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2021年11月11日08:50

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日本の心24〜神代から皇室を崇敬した藤原氏

 「藤」のつく姓の家は、多くが藤原氏の分かれと考えられています。足利国佐野に住んだ藤原氏は「佐藤」、伊勢国の藤原氏は「伊藤」、加賀国は「加藤」、近江国は「近藤」などと名乗ったからです。自身がそういう姓である人や、親戚にそういう姓を持つ人は多いことでしょう。
 奈良時代から平安時代を通して、藤原一族は、宮廷内に大きな力を持ち、藤原時代といわれる時代を築きました。藤原氏は、もと中臣氏でした。大和朝廷の氏姓制度において、中臣氏は大臣(おおおみ)・大連(おおむらじ)ではなく、弱小豪族でした。しかし、中臣鎌足が大化改新で功績を挙げたことにより、一躍勢力を伸ばしました。ことに律令の編纂に携ったことにより、律令制度の運営に力を発揮しました。そして、藤原氏の繁栄の基礎を固めたのが、鎌足の息子・不比等でした。
 藤原不比等は長女宮子を文武天皇の後宮に入れ、そこに生まれた首皇子(おびとおうじ)が聖武天皇となりました。これによって不比等は臣下でありながら、天皇の祖父となったわけです。これは皇室始まって以来のことでした。さらに不比等は、首皇子の養育係・三千代をめとり、生まれた安宿媛(やすかべひめ)を聖武天皇の皇后としました。これが光明皇后です。皇室の流れを汲まぬ臣下の娘が皇后になった最初の例でした。こうして不比等は、天皇の外戚(註 母方の親戚)として権力を振るいました。そして、天皇を中心として、権威と権力を分化する仕組みをつくりました。すなわち、天皇は統治者としての権威を持ち、その下で政治権力は実質的に臣下が担うというシステムです。これが、その後のわが国の国家構造の基本となっていきます。
 不比等以後も藤原氏は天皇の外戚であり続けました。なかでも道長は、娘彰子を一条天皇の嬪(ひん)に入れて以来、三条天皇、後一条天皇、後朱雀天皇、後冷泉天皇といった藤原氏の血を引く天皇を次々に誕生させました。つまり、自分の娘三人が三代の天皇の后となったわけです。道長は「この世をば我が世とぞ思ふ望月の欠けたる事も無しと思へば」という歌を詠んだほどで、藤原三百年の絶頂を極めています。
 しかし、重要なことは、藤原氏は、決して自分が天皇にはならなかったことです。絶大な権力をもった不比等や道長も、自ら皇位につこうとはしませんでした。また、天皇とするのは自分の息子ではなく、娘が生んだ自分の孫でした。自分の地位と権力は、あくまで天皇あってのものであると思っていたのです。
 強大な権力を掌中にしながら、藤原氏が自分から天皇になろうとしなかったことは、世界の歴史を見ると不思議なことです。シナの歴史を見ても、家臣が王位を簒奪(さんだつ)することが、幾度繰り返されてきたかわかりません。

 これはなぜなのでしょうか。ここにわが国の国柄を理解するポイントがあります。藤原氏のもとは、中臣氏でした。中臣氏の系図は、神代の時代にさかのぼり、天児屋根命(あめのこやねのみこと)を先祖としています。天児屋根命は、天照大神が天岩屋戸に隠れたときに、岩戸の前で祝詞をあげた神でした。そして、天孫降臨の時にニニギノミコトに付き添って、日本の国に降りてきたとされ、その子孫である天種子命(あまのたねこのみこと)は神武天皇に従って日本の建国に参加したと伝えられます。その子孫、つまり中臣氏は代々、朝廷に仕えて神事を掌(つかさど)っていました。つまり、遠く神話の時代から皇室に仕えてきたのです。そのため、その末裔(まつえい)である藤原氏には、皇室の権威を侵してはならないという慎みの意識があったのです。仮に天皇の地位を簒奪したならば、神代以来の先祖の行為を否定することになってしまいます。これは、祖先を敬う日本人には、決してできないことです。こうした藤原氏の姿勢は、後代の日本人の模範となりました。そして、神話の時代から歴史の時代を一貫して、天皇と国民の関係が保たれ、国の秩序が守られてきたところに、わが国の他に比類ない特徴があります。
 さて、栄華を極めた藤原氏は、都で優美な生活にふけるようになり、地方のことを省みませんでした。その結果、地方の政治が乱れ、平安時代末期には平将門・藤原純友の乱などが起こります。これらを鎮定したのは源氏や平氏の武士たちでした。さらに、藤原氏の内紛に端を発した保元の乱では、もはや貴族では世を治めていけないことが明らかになり、源平両氏が時代を担う者として登場しました。そして、平治の乱の勝者となった平氏が、藤原氏に代わって権勢を伸ばしました。
 その後も、藤原氏は滅亡したわけではありません。平安時代から江戸時代まで貴族社会の中枢を占めて皇室を支え、その家系は明治以降も華族の名門として首相・近衛文麿等を輩出しています。わが国でこれほど長い間、繁栄を続けてきた家柄はありません。その最大の理由は、祖先伝来の皇室尊崇の心を保ち続けたからと言えましょう。
 藤原氏は、古くからわが国に続く多くの家系の一例にすぎません。天照大神の子孫が「天孫降臨」をしたときに同行してきた神々の一族と伝えられる家系には、中臣(藤原)氏以外に、大伴氏、菊池氏、高橋氏、安倍氏などがあり、天照大神から初代・神武天皇までの先祖から枝分かれした子孫には、大河内氏、蒲生氏などがあり、また古代・中世に皇室から分かれた橘氏、源氏、平氏など、実に多くの家系があげられます。そして、わが国は、自家や親族を通じて、どこかで皇室につながっているところに、固有の特徴があるのです。

 次回に続く。

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