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2019年03月03日09:51

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精神の物語(65) 原田実「黄金伝説と仏陀伝 聖伝に隠された東西交流」人文書院1992

 「黄金伝説」とはジェノヴァの大司教ヤコブス・デ・ウォラギネ(1230−1298)がまとめたキリスト教聖人伝。
1枚目 ガンダーラ仏 1−2世紀 東博
2枚目 回転(円筒)印章
3枚目 慈母観音 久留米成田山  ウィキなどネットから

 1.仏陀とイエス・キリストの類似性
釈尊は29歳で出家し、6年間苦行したが、肉体を苦しめる苦行に意味はないと気づき、菩提樹の下で瞑想して悟りを得た。その間にも悪魔は空腹や肉欲、権力欲を刺激して誘惑したがすべてはねのけたとのこと。
 マタイ伝やルカ伝によると、イエスは30歳前後に荒野で40日間断食し悪魔の誘惑を斥けたとのこと。石をパンに変えて見せよとか、王国を与えるとか釈尊の場合と似ている。

 4福音書で、イエスはガリラヤ湖畔での説教の時に、わずか5つのパンと二匹の魚で、群衆の空腹を満たしたと記されている。
 大乗仏典の一つ維摩経では、仏弟子一同と維摩居士(成功した金持ちの商人)の見舞いに行ったとき、仏国土からわずかな食べ物を得て、弟子一同と天上の神々全てを満腹にさせたとのこと。

 ルカ伝には、財産を持ち出して家出していた「放蕩息子」が落ちぶれて帰って来たのを、反対する兄弟をいさめて迎え入れる長者の説話がある。
 法華経「信解品」の「長者窮児」でも同様だが、自らを恥じて名乗れないのを、素知らぬ顔で雇い入れ、糞尿の汲み取りなどをやらせたりして教育したという。
 (なお、ここで最下層のカーストの仕事を長者の息子にやらせて教育しなおすというエピソードは、ありえないことで、インドで生まれた説話とは考えられない。)
 他にもキリストの再来(最後の審判)と未来仏である弥勒下生など似た思想やエピソードは沢山あるとのことである。

 2.東西交流の歴史
 紀元前24世紀にメソポタミア都市国家群を征服してアッカド朝を開いたサルゴン王は世界四方の王を称して、さらに西の地中海方面、東のインド方面へ征服地を広げようとした。考古学的には貿易商人の身元を保証した「回転(円筒)印章」がメソポタミア、インダス、エジプトを結ぶ交易路が成立していたことが裏付けられている。

 前16世紀にエジプトのハトシェプスト女王は航海をインド洋に出て、東方のブントで黒檀や香料に金を得たと墓の壁画に記されている。そんな大船はないはずとされていたが、1954年にクフ王の大ピラミッドから長さ45メートルになる外洋船が発見されて裏付けられた。なお1987年には早稲田大学吉村教授が第二の船の存在を確認して発掘中である。

 アレキサンダー大王は紀元前334年にボスポラス海峡を渡りペルシャ帝国を倒した後、さらに東進してインダス川を渡った。その地点で、捕虜にしていたポーロス王を釈放して拡大した領土の王に戻した。ペルシャのダリウス三世の扱いも寛容だったとのことで、そのヘレニズム文化は東西文化を融合したと評価されている。

 ほとんど同じ頃、インドのマウリア朝、アショーカ王(前273−232)は仏教に帰依して、アレキサンダー大王亡き後のシリア王、エジプトのプトレマイオス二世、マケドニア王など5人の王に仏教伝道の使者を送っている。
 
 黄金伝説の聖トマス伝(12使徒)によれば、主が現れてインド王グンドフォルスが大工の棟梁を探している。棟梁として王のもとに行ってインドで布教しなさいと命じたという。
 彼にまつわる史跡は実在するし、存在が不明だったグンドフォルス王の遺跡も発掘された。彼のインド布教は事実とみてよい。

 3.法華経や観音経の生まれた場所はどこか?
 仏像の起源はアレキサンダー大王によるヘレニズム文化の影響を受けたもので、ガンダーラ(パキスタン西北からアフガニスタン東部)仏である。従って釈迦像の顔もインド人というよりギリシャ人を思わせるもの。
 また大乗仏教もキリスト教の影響を受けてガンダーラで生まれたとの説もあった。
 しかし著者の原田氏は、法華経の長者窮児がインドのカースト制を無視していること、仏教が解脱できるのは男性だけだとするのに対して、女性的特徴を持つ観世音菩薩の存在などからマソポタミアの地中海周辺でないかと推定している。そもそも観音菩薩は航海安全を守る海の女神であり、海の泡からうまれたビーナスなどの系譜を引く大地母神だったらしいのである。それが仏教の菩薩に取り込まれる時に「変性男子」(男であり、一人であるが、ありとあらゆる変身像がある)となったもので、例えば寺の庭に立っている観音菩薩像はほとんど女性(慈母観音)だと言わざるを得ない。
 また大乗仏典の一つ維摩経の中心人物維摩が貿易商人を思わせることから、インドから地中海に至る交易港で生まれたとしている。   
 このように、キリスト教と仏教の融合現象が起きたのは、聖トマスの東方・インド布教やアショーカ王の西方布教があったからだが、さらにはサルゴン王の征服や古代エジプトのファラオによる使節団派遣や交易路の発展が物質的基盤になっているのである。

 ☆海風:まとめ
 そもそも釈迦もそうだったが、人間の生活を助けるために修業しているのではない。もともと人間は釈迦のように王侯貴族であっても生きている限りは四苦八苦の生病老死の存在なのである。そしてその苦痛の状態が六道輪廻によって永遠に続く。
 その苦痛を逃れるために生活を捨てて仏門に入り修業して解脱しそれぞれの浄土に往生するのが釈迦の教えである。
 それを小乗だと言って非難し、人間の実生活を助けると称して、釈迦の直弟子を地獄に落として新しい経典を作ったのが大乗仏教だった。実際、釈迦を看板にする以外は全く違う宗教だと理解した方がいいのではないか。で、その時に大乗と小乗仏教の違いをはっきり見せるのは、大乗で多数出現する菩薩の存在であろう。
 菩薩は四苦八苦状態の人間を救うために存在する。仏となれば浄土に行ってしまっているはずで、人間のそばにはいない。弥勒仏などその典型でいつか分からないが戻ってきて世界を浄土にする存在。人間が願をかけるとかの対象にはならない。
 その点では菩薩であり、特に親しまれてどこにでもいるのが観音菩薩と地蔵菩薩である。キリスト教でいえば聖者や天使である。あるいは原始多神教の神々、特に大地母神であろう。
 原田氏が文献や史跡から実証しようとしてことは、大地母神、聖者・天使、菩薩の似たような性格からも裏付けられると思われる。


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