昨日は曇天の空から、かすかに時鳥の鳴き声。一声いずこ鳴くホトトギス、の風情だった。
ウマノスズクサには、ジャコウアゲハの青虫がついていた。まだ小さい。孵化したばかりのようだ。散歩していて、他の場所の生垣の中からウマノスズクサが立ちあがっているのを見つけた。不気味な感じで分かりやすい。名前の由来は花の形にあるのだろう。
今日も蒸し暑い。しかし、これぐらいでのびていたのでは夏が乗り切れない。ということで、片づけ、断捨離をすることにした。100円で集めたものだが、そのなかの「will」2012年7月号に、佐野眞一・北原みのり「木嶋佳苗は毒婦なのか」という対談があったので捨てる前に読んでみた。
佐野眞一は言わずと知れた作家で、北原みのりは「週刊朝日」に裁判傍聴記を連載して「毒婦」朝日新聞出版 として出版したとのことである。
で、この対談の論点なのだが、要するに木嶋佳苗の人間像が理解できない、ということなのである。
北原が言うには、カオリン(三橋歌織、セレブ妻バラバラ殺人事件)や鈴香(畠山鈴香、秋田連続児童殺害事件)の場合には、自分もあの立場なら殺人したかもしれないと想像できる。
似た状況の上田美由紀(鳥取連続不審死事件)の場合は、貧しく暴力的な匂いがしたし共犯者もいた。
しかし、木嶋は(犯人だったとしてだが)、凄惨さがない。被害者は美味しい手料理を食べ恋をしたまま死んでいる。
佐野も同調して、「殺意の沸点が非常に低い」。本来殺人とは劇的で「越えられないものを越えて行く」ものだが、彼女の場合は何のために殺人というハードルを越えたのか分からない、という。(佐野は木嶋のノンフィクション「別海から来た女」講談社で、家系を4代までさかのぼったという、橋下市長の時はそれで失敗した)
北原は、女の場合は静かな殺人が多いものとして、沸点が低いのは女ならではだとする。
木嶋の場合は、騙されて金を取られただけで助かった男たちも、なぜあの優しい人がという半信半疑の気持ちだったようである。
で、私が思うに、和歌山のヒ素カレー事件に近いのではなかろうか。町内会の殺人の方ではなく、それ以前に雇用していた作業員が不審死している。病死とされたために解剖されず、証拠がないので分からないのだが。あの場合も、保険金をかけられていたのである。
怒りにかられて殺すのは最初だけだろう。慣れてしまえば、ハードルはなくなり、後は、金のために冷静に殺すのだと思う。木嶋の場合は最初から冷静だったのだが、それはあり得る範囲だと思われる。
特に、快楽殺人に分類されるものは、スポーツのように殺すわけだし。鴨を撃つのと同じなのだ。
菜食主義者たちは、動物も殺さない。命に対するハードルが高いのだ。無論、仏教の僧侶も本来菜食のはずだったのだが。
逆に、木嶋のようにハードルのない人もいる。要は、個人差があるということで、殺人についてもそうなのである。対談した二人の作家は、今後は、その前提で人間観察をするべきと思うのだが。
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