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2024年03月11日21:13

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フィクションと現実(73) クロノスの時間とカイロスの時

 ギリシャ語では、「時」を表す言葉として(カイロス)と (クロノス)の2つがある。前者は「時刻」を、後者は「時間」を指している。
 「クロノス時間」は、過去から未来へ一定速度・一定方向で機械的に流れる連続した時間を表現し(つまり時計クロックの語源だと思う)、「カイロス時間」は人間の主観的な内面的な時間を表す。以上ウィキによる。

 清水真砂子「子どもの本のまなざし」ジック出版局1992
 本書で評論されているフィリパ・ピアス「トムは真夜中の庭で」(Tom's Midnight Garden)1958年はイギリス児童文学の代表作に数えられて、カーネギー賞を受賞した。

 「流行病を避けるためにトムは伯父さんの家に預けられた。
 邸の二階には所有者の気難しそうな初老の女性が住んでいた。
 夜の12時を過ぎても寝むれずに、次は1時かと待っていると、鳴り始めた時計はついに13も鳴ってしまった。驚いて起き出して駐車場のある裏の戸を開けると、そこは広々とした明るい庭園だったのである(時代はヴィクトリア朝の末期頃らしい)。
 そっと庭へ出て様子を伺っていると、少女ハティが一人庭園にいた。孤独なハティと仲良くなったトムは13を打つ時に庭へ出てハティと遊んでいたのだが、不思議なことに彼女は会うたびに歳を取っていく。
 で、とうとうトムは「君って幽霊なんだろ」と聞いたのだが、怒ったハティに「あなたこそ幽霊でしょう。いつも変な服を着て」と反撃されてしまった。トムは寝巻で裸足だったからそう言われても仕方がなかったのだが。
 寒い冬になって近くの川が氷ってしまった。二人はアイススケートを履いて川を下ったところで、知り合いの青年と出会って馬車で屋敷に帰してもらった。
 そしてハティはその青年と恋仲になり、結婚して屋敷を出て行った。去ってゆく馬車へトムはハティ!と大声で呼びかけて、目を覚ました。
 
 朝になって伯父さんは上のオーナーの女性が会いたがっているという。きっと深夜の大声を怒られるのだろうと思ったが、仕方なく階段を昇って行くとそこにいた老婦人と思わず抱き合っていた。
 「ハティ!」 
 「トム!本当にあなたなのね。」
 ということで長い要約になってしまったが、清水真砂子によれば、このトムの時間がカイロスの時だとのこと。

 石原慎太郎に「時の時」エッセイ三部作がある。
 「わが人生の時の時」新潮社1990平成2年(新潮文庫1992平成4年)
 巻頭の「漂流」はスクーバ・ダイビングで魚を捕ってギリギリのところで上がったのだが、その時には船はあたりに居なかった。もうダメかと思ったが、しばらくしてやって来たた漁師が助け上げてくれた。それで波浮の港に行ったら仲間の韓国人が「なんだ、生きていたのか」と言った、とのこと。
 冒険家の石原慎太郎のカイロスの時だったに違いない。
 「わが人生の時の人々」文芸春秋2002年平成14(文春文庫2005年平成17)
 「わが人生の時の会話」集英社1995年平成7(幻冬舎文庫2004平成16年)

 私海風のカイロスの時は何だったかを思い出してみる。
 やはり学生運動の最盛期の時代に農学部林学科の専門課程にいた2年間だろうか。
 授業はほとんどなく、たまり場にいて卒業論文を書いていた。データは親友に大山林地主がいるという同級生(彼は10年ほど前に亡くなった)が提供してくれた。その数字を年代別に整理していったのだが、それだけでは物足りない。それで場所は分かるのかと聞くと大体わかるという。それで地域別年代別に植林伐採数を整理した表を一つ作った(地理学は好きだった)。
 整理に飽きたら碁を打っていた。素人の3級ぐらいだと目分量していたものである。この時に一度だけ碁の相手をしてやった(むろん私が勝った)後輩が翌朝の飛行機乗っ取り犯の一人だった。
 
 整理した表を中心にしてたまり場のグループの卒業論文を作ったのである。
 で、もう一つ大事なことがある。就職をどうするのか、だった。そもそも人間関係ができないのでセールスマンになれるわけがなかった。迷っている頃に誰かが公務員試験のことを言ったのである。その手があった。
 それで本屋の過去問をみると、林業職や農業経済職があった。林業の授業はなかったわけで技術面は何も分からない。農業経済の方は講師の先生の授業が農業経済だったので見当がついたし、何より社会科学系と言う範囲が限定されているので、過去問1冊覚えてしまえば何とかなるはずだった。
 ということで過去問集を買って、夏秋ごろの1次試験と専門の2次試験に間に合わせることにした。半年ほどは毎日暗記で、できなかった問題をできるまで繰り返して覚えて行ったのである。
 論文試験もあったのだが、これも過去問の中からいくつか山をかけておいた。
 おかげで秋には合格通知が届いて、東京の農林省で面接試験日が書いてあった。
 東京には中学の修学旅行で行っただけだった。高校は九州だったので。
 新幹線にも乗ったことがなかったし、当時の朝一番列車で9時に間に合うかどうか?
で、当時まだ運行されていた夜行急行で行くことにしたのである。一般車両なのでほとんど眠れないまま、朝の5時ころ東京駅に着いたが早すぎる。食堂も検討が付かないし(地下街にあったのかもしれない)駅の裏の方へ行くと日比谷胡淵があり、そのベンチで新聞を敷いて寝ている人がいた。で、私もベンチで横になって、8時過ぎに農林省に向かったのである。
 ところが面接試験が遅れて、朝食がまだの人は行ってくれとのことで、それで腹は納まったが、それでも私の名前は呼んでくれないまま最後の2人になってしまった。
 その時に、もう一人が話しかけてくれた。「これは成績順で呼んでいるんだよ。だから、毒らは最低の成績で、僕が下から2番目で、君が最後になる。まあ、一番経済的に合格したんだよ」と。彼は東大生とのことで、試験のことをよく知っていたのである。

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