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2024年01月29日09:12

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フィクションと現実(55) 武士の起源

 桃崎有一郎「武士の起源を解き明かす ―混血する古代、創発される中世」ちくま新書2018

 日本の場合、鎌倉政権から江戸幕府の大政奉還まで700年間は武士の支配する、一種の軍事政権だった。
 この状況は文官優位だった中国大陸や朝鮮半島と根本的に異なっていた。あちらは孔子に発する儒学教育を受けた文官たちが武力を支配していた。今の日本も9条のおかげで武力が動けなくなっているのと似ている。

 関東に起こった鎌倉武士たちの武力は、乗馬の技術、弓を射る技術、さらに馬を走らせながら的を射る技術(流鏑馬)から成っているのだが、それぞれの技術は難しいもので、少年の時から訓練されていなければならない。
 つまり食うために働かなくても良い人でなければならないわけだが、平安時代の貴族は儒学や和歌を勉強したのに対して、武士は流鏑馬の訓練を受けて武士になれたのであった。

 武士の技術は朝鮮半島からの百済や新羅などの亡命者から学んだらしい。白村江の戦いで敗れた百済の遺臣たちは近江の国に土地を与えられたとのことで、征夷大将軍の坂上田村麻呂も近江の人だった。彼が軍を率い、途中で徴用しながら東北の蝦夷たちを屈服させて、桓武平氏の平高望や源氏一族などに牧(馬の放牧地)を与えて関東の支配を委ねた。源氏は数も多いので河内(河内源氏)に土地を与えている。
 彼らは皇居の守りとして都に派遣されて滝口の武士も務めた。
 後に関東平氏一族内の相続争いが元で乱を起こした平将門も滝口の武士だった。
 つまり、「武士」という名の起源である。

 武士は各地に生まれたのだが、彼らの起源は郡司身分のものだった。国司が中央から派遣され任期が終われば都に帰ったのに対して(古今集の編集者紀貫之や紫式部の父、和泉式部の夫など)、郡司は古代からの地元有力者が勤めていて、源氏や平家の妻を差し出したのが軍事層だった。

 源氏が関東で強かったのは、八幡太郎義家が安倍貞任・宗任の乱を鎮圧したことによる。安倍氏(貞任は戦死したが、弟の宗任は北九州への追放で処刑を免れた。安倍首相の先祖との説がある)の後は藤原秀郷が継いだのだが、関東一帯に八幡太郎の名が刻みつけられたわけである。

 以上をまとめると、武士の名は皇居敬語の滝口の武士(後に、皇居北面と西面の武士が創設、「命なりけり小夜の中山」の西行法師は北面の武士だった)から、武士の技術は蝦夷と戦った関東の源氏平氏から、そして全国に広がったのは彼らの妻となった郡司層の女系からだとのこと。

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